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先日 夫に「恋って何処に行くんだろうね。」と訊いてみた。 彼はしばらく考え込んだ後、 「・・・そのまま 池におるんちゃうか?」と呟いた。 ・・・・・は? そ、そなたは わらわをおちょくり そのようなことを! えぇ~い、成敗してくれるわ。 たれか、わらわに長刀をもて! あ、朝さま なりませぬ! 何を申すか! そこに なおれぇ! なおるのじゃぁ! ・・・戯言はこれくらいにして その時の夫は本気で「鯉」と思いこんでいたとのこと。 ・・・・さもありなん。彼なら大いにあり得る。 彼なら恋に纏わる話はいくらでもありそうだが、 意外なことに、お付き合いした女性は私1人だけだったそうだ。 かなり意外だった。 ついでに言うと、彼の中では 「結婚したい人としか付き合わない」という考えがあったという。 ・・・・! 何と「硬派」な人なのだ。 その事を知って、私は尚更彼のことが好きになった。 ・・・・・嫉妬という感情を持ったのは、夫とつきあい始めてからなのである。 私はかなり戸惑った。自分の中にこんな感情が隠されていたのかと思った。 今まで出てこなかっただけなのだ。 ついでに気付いたこと。 私って、本当は嫉妬深かったのね、へへへ。 ・・・と笑っている場合ではない。 今でもバレンタインの日など 彼はその職業柄 山のようにチョコレートをもらってくる。 私はそのひとつひとつに対し ついつい 「これはどなたから?」と訊いてしまうのである。 そんなに多くのチョコレートだから 夫がいちいち覚えているはずもない。 「そんなん いちいち覚えてへんわ」と、その一言でいつも終わるのだ。 そんなのは分かっている。 でも気になるのだ。 ああ、傍目から見たら 私ってお馬鹿だよね。 やきもち焼いてるの丸分かりではないですか。 そしてさ、こたつのところで まるーくなって拗ねたりするのだよ。 大人の女性としてのプライド「0」ね。 いや、そういうことはどうだっていいのだ。 さて、本題本題。 鯉、いや、恋の行方について。 誰かの歌に・・・・恋というものには やがて消えていってしまうものと、愛に変わっていくものとがある・・ というようなことが書かれてあったような。 今、夫との関係を考えてみると まさに 恋が愛に変わりつつある時期なのではないかと思う。 知り合って25年目。 結婚して16年目に入ろうとしている。 はっきり言って「あばたもえくぼ」の時期は過ぎ去った。 同時に相手のいろんな短所が目につきはじめ、 いやだなと思うことが多くなった。 それはお互いにだ。 「鷹揚さ」は「優柔不断」に見え始め、 「はっきりものを言う」性格は「思いやりの無さ」と感じるようになった。 相手が何を考えているのか 全く分からなかった。 お互い価値観も違うし、育ってきた環境も違う。 夫は関西の人間だし、私は九州だ。 最初の頃など言葉も違っていた。 習慣も、育児や近所づきあいに対する考え方も、ことごとく違っていた。 そんな時、ふと思った。 恋とは 努力なしでもできるものではないか、と。 それに引き替え 相手を愛していくというのは 何としんどい作業なのだと。 相手の欠点を許し、あるがままに受け止める。 また逆に 自分にどれだけの欠点があるかを自分なりに考え、 その欠点がどれだけ相手の心に傷を付けているのかを想像する。 私たち夫婦の場合、夫の方が精神的に遙かに大人であるから おそらく(いや、絶対に) 私の方が彼に迷惑をかけているのだ。 私は割とものをはっきりと言ってしまう性格なので、 その分、自分の気付かないところで 彼を傷つけてきたのかもしれない。 私は今まで 散々彼に甘えてきた。 そろそろ 今度は私が彼を甘えさせる番ではないのだろうか。 うーん。甘えさせる・・・というのは なんだかちょっと違うな。 彼をそのまま受け入れるということかな・・・。 愛するということは それはそのまま 我が儘な 子どものような自分との闘いなのかなと思った。 今まで私は 自分の気持ちしか考えていなかったことを思った。 夫の気持ちを思いやる余裕もなかった。 夫は毎日、大変な思いをして頑張ってくれているのだ。 いつだったか ぽつりと 「どんなに好きな仕事でもな、辞めたいときもあんねんで」 と言ったことも思い出された。 夫にしてみれば、自分の実家においては次男坊として のんびりと伸び伸びと育ってきたのだ。 参観日の日など 率先して「はい!はい!はい!」と手を挙げ 指されると同時に堂々と「分かりません!」と元気よく答え、 幼稚園の時にはピアノの上によじ登り、 先生に大目玉を食らったりしてきたのだ。 要するに「やんちゃるもんちゃ」がそのまま大きくなったような人なのだ。 そういう彼が家庭をもち、支え、 此処まで私たちを引っぱってきてくれたのである。 宮本輝がその著書の中で 「夫婦は その人間としての基底部に同じものを有している」 というようなことを書いていた。 その文章を読んだときに 妙に納得した。 彼と私は 表面上は全く正反対の性格である。 しかし15年も一緒にいると 実は違うのは表面上だけのことであって、 内面の奥にあるものは全く同じではないのかということに気が付いた。 良いところも悪いところもである。 時折、私は 彼の中に自分を見る思いがする。 宮本氏はその本の中で 「仏教的な言葉を使えば、宿命や宿業といったものを有している」 とも述べている。 つまり お互い自分の命の中に抱えている宿命が 同じだということらしいのだ。 ちょっと怖いなと思った。 夫婦って、一蓮托生なのか?と思った。 おそらくそうなのだろうな・・。よくわからないけれど。 正直なところ あなたを信じることはできても 宿命自体を信じることはできないのだよ。 あなた自身のことを いつまでも私の傍にいてくれる人だと 信じることはできるのだけど もしかしたら私自身の中に 「若くして夫を亡くし悲しみにくれる」という宿命があるかも知れない。 そういう意味において 宿命を信じることができない。 でもね、だからといっておどおどしながら生きていようとは思わない。 その宿命通りにならないといけないなんてことも思わない。 みすみす そんな宿命なんかに 翻弄されてたまるかという気持ちもどこかにあるのだよ。 宿命なんかより あなたの方が大切だから。 もし「家族3人とも火災で亡くなる」ということでも 諦める必要なんて何処にもない。 もしそうだとしても、 小脇にあなたと娘を抱えて火の中から這い出てやる。 「家族3人貧乏のどん底で苦しむ」であったとしても 「これもあとになったら いい思い出になるよ」と言って キャハハと笑いとばす。 あなたが事故にあって 全く動けない体になったとしても 私があなたを守っていく。 パパ、たくさんいる人々の中から こんな私を選んでくれて有難う。 あなたが他の人と結婚していれば あなたはもっと幸せになれたのではないか・・・と 思う時だってあるのだよ。 いつか あなたは言ったね。 「○○ちゃんは強いから 僕が先に逝っても1人で元気に生きていけるんだろうな」と。 そんなあなたに 私は 「おお。まかせとけ」と明るく返事したね。 ・・・馬鹿だね。 あなたが たった1泊の出張に行っただけで 私は 夜眠れないのだよ。 心細くて まるで子供のように 表に出て あなたの帰りを待っているのだよ。 そんな私が 2度と戻ってこない人を想いながら 強く 強く 生きていくことができるだろうか。
by miyamagakure
| 2008-03-14 17:10
| 日々の徒然
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