ブログランキング
カテゴリ
以前の記事
2012年 05月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 ファン
記事ランキング
その他のジャンル
画像一覧
|
夫と交際を始める前、私には他にお付き合いをしている人がいた。 大学構内の誰も通らないような小さな道。 そこにひっそりと咲く可憐な百合。 ・・・おそらくは 相手もこのことを知らないだろうから 早速教えてあげようと思っていると 相手もまた、全く同じことを考えていた。 そんな細やかさを持ち合わせていた人だった。 趣味も好みもほとんど同じで こちらが「あれ」と言えば「ああ、あれね」で悉く通じてしまう。 それほどに何もかも共通していたというのに それでもそのお付き合いは、ほんの短い期間で終わってしまった。 お互いに嫌いになったわけでもない。 ただ、上手くはいえないのだけれど 何かが違っていた、としか言いようがない。 夫は 間違っても、秘やかに咲く百合の花に気づくような人ではない(笑)。 百合に気づくより前に おそらくは木に掛かる蜘蛛の巣を見つけ 「とれたての蜘蛛の巣やで!」と子どもみたいに喜ぶだろうし 蝉の抜け殻をいくつ見つけることができるだろうかと ほっといたら木に登って探しかねない、そんな人なのである。 彼は文系の人ではない。 数学科出身である。 私が万葉集の話をしていても、途中で眠っている(笑)。 花の名前も一向に覚えようとしない。 いや、彼の頭の中には おそらくは多くの花の名がインプットされてはいるのだろうけれど (私がよく花の名を話題にしますのでね) 彼の中においては その花の名と 実際の花の姿とが、全く一致していないのである。 庭に咲く苧環に向かい 「おお!水仙やな!きれいに咲かなあかんで!」と激励し 何やら露草とオオイヌノフグリとがごっちゃになっているようだし 鮮やかに咲く朱色の百日紅の花を見て 「あれは薔薇やで。」と愛する娘に教えている。 このまえなぞ 稲美町の万葉の森公園に行ったならば 慎ましく咲く石蕗の花を見て 「これはさすがに知ってるで。・・・そうや!タンポポの仲間やったな?」 などと 自信ありげに問いかけてきた。 彼の文章は どことなく無骨で荒々しい。 流麗な文章ではない。 確かに 彼の文章を読んで美しいと感じることはそう無いのだけれど けれど 愛しい、と思う。 元来 私は流麗な文章はさほど好きではない。 これでもかと美しい言葉の立ち並ぶ文章には辟易し 遠ざかるようになる。 平淡なものであっても 胸をつかれる、そんな文章にどうしようもなく惹かれる。 夫の人柄は 彼の書く文章そのままではないかと思う。 確かに、夫とは自然の美しさについて語り合うことはあまり無いかもしれない。 公園に行っても何処に行っても、見る物、心惹かれる物ことごとく違う。 趣味も好みも全く異なっており、 私たち2人に共通していることは おそらくは「現住所」だけではないかと思う時さえある(笑)。 それでも17年前、私はこの人と一緒に生きていくと決めた。 何がどうなってそのような結論に到ったのかはよく分からないのだけれど ただ、この人とならば 永遠に一緒にいたいと思った。 今世では夫婦という形ではあったとしても 次の世ではどういう形になるか分からない。 (こ、ここだけの話ではあるけれど 私は来世、男性として生きてみたいと願っている。) なので、夫にその旨報告し 来世はあなたが私の妻として生きていく番だ、と告げると あっさり却下されてしまった。 彼も、来世は男性がいいそうだ。 それでも私だって男性として生きてみたい、と駄々をこねると 彼は「勝負やな。」と言って にっと笑う。 今世において祈りの強かった方が 来世、めでたく男性として生まれてくるのだと言う。 すると、なんですか。 今世、私があなたの妻として生きているということは 過去世における私の祈りが断然弱かったということですか。 つまり 勝負に負けてしまったということですか。 悔しい(笑)。 来世、リベンジです。 私自身、生命は永遠だと思っている。 生まれては死にを繰り返すと考えている。 今度生まれてくるときには どういう形であるにせよ 今世において私の夫、そして娘となってくれたこの2人にもう一度出逢いたいと思う。 次に出逢うときには もしかしたら親友かもしれない。 親子かもしれない。 どういう形でもよい。 ずっと 一緒にいたい。 私自身、仏教徒である故に やはりこの世は修行の場であると考える。 修行と言っても難行苦行のことではない。 生死を繰り返し 多くの悲しみ、苦しみにぶつかり煩悶するなかで それでも強く生き抜いていく姿を示すことが 信仰をもつ人間のつとめではないかと考える。 愛する家族である故に 絶対に失いたくない存在であるが故に それらを失ってしまったときの自分の悲しみ、苦しみを思うと いても立ってもいられなくなる。 想像するのさえ怖いのだ。 宿習深く 家族となった私たち。 お互い、喜びを分け合う日もあるだろう。 悲しみを与える日があるかもしれない。 けれど 家族によって与えられるその悲しみは 自身の生命を鍛えてくれるのではないかと思う。 愛する家族を失い悲嘆にくれたとしても その悲しみはやがて 他者に対する深い共感へと繋がっていく。 同じ悲しみに暮れる他者の気持ちに 理屈抜きに寄り添うことができるのだと思う。 自身が先に逝くようなことになったときでも 最期まで気に掛かる存在であり よく言われるところの「死ぬに死ねない」気持ちになるのも 家族という存在があるが故である。 そして逆に 自分が愛する人を見送らなければならなくなり 悲しみに沈み、夜も眠れなくなり おそらくは弱い私のことである、長い間再起不能になるだろう、 生きていることさえ辛いとこぼすかもしれない。 眠っている間だけでもこの辛さを忘れることができると思っても その眠りさえも 私の元を訪れてくれないだろう。 生きているときにも そして逝ったあとも お互いの心に 深い跡を残す存在、家族。 生命の奥深く 呼び合うものがあるからこそ 生死を越えて 強くつながっていくものなのだろうか。 #
by miyamagakure
| 2008-11-14 01:47
| 日々の徒然
ちょっとした時間を見つけては 針仕事をしています。 今までハーブや万葉植物で染めてきた布を有効利用しようと思い立ちまして それらをサシェやティーマットにすることに致しました。 針仕事は嫌いではありませんので さして苦にもならず 1人でいろんなことを考えながらちくちくしています。 畑で摘んできたたくさんのハーブを自然乾燥させ サシェに入れ 口をリボンや毛糸でとじれば出来上がり。 ティーマットも ようやく家族の人数分だけはできました。 これからもう少し数を多くしていくつもり。 おやつの時間など カップと小皿を乗せるのに丁度よい大きさです。 自然の材料で染め上げた布たちはとても優しい色をしており 手に取るたびに どこかほっと致します。 昨日は 紅花で染めたサシェの中にミントを入れ それを浴槽に入れました。 クールミントなのですっきりとしたよい香り。 紅花染めのサシェはお湯の中で薄い紫色になり その美しい色に はっと致しました。 今日は終日 雨。 体調も思わしくなかったためずっと部屋の中にいて 娘のお気に入りのミートソースをことこと煮ていました。 ソースを作るたびに 材料をちょっとかえてみたり 手順を変えてみたり 今日は玉葱をみじん切りにせず ワインと一緒にミキサーにかけまして ペースト状にしてみました。 何をどんな風にしたら 文句なしのソースになるのだろうかと手探りの状態です。 娘には手作りの良さを知ってほしいと思います。 お店で買ってくればそれなりのものが手にはいるだろうけれど それでも 手作りの良さには遠く及ばない。 いろいろな味を敏感に感じ取れる女性に育ってほしいと思い 極力薄味にして参りました。 その甲斐あってか 彼女は おみそ汁のおだしが人工的な物か それともきちんと鰹節などでおだしをとった物か 瞬時に言い当てることができるようになってきたようです。 子供を産み育てるには 誠に厳しい時代であると言わざるをえません。 先日も、娘のクラスにて お友達が男子に蹴られていたので 娘が男子に「蹴らんでもええやんか!」と言いましたら 今度は娘がその男子にたたかれたそうで。 ・・・・これからもいろんなことあるのでしょうね。 娘には 強さと優しさとを兼ね備えた女性に育ってほしいと思います。 勉強は人並み程度でよい。 自分が成績を上げたいと思うのであれば 自分の意志で頑張ればよい。 そして 何のために成績を上げるのかを考える人間でいてほしい。 学業も おうちのお手伝いも そして自分の好きなこともたくさんしてほしい。 その中で 美しいものには素直に感動できる女性であってほしい。 ・・・我が子には 不安と期待と心配と 何だかいろんな感情がまざってしまうのですよね。 もう少し大人になったら 親子でいろんなこと話せるようになるでしょうか。 花のことも自然の美しさも 恋のことも 政治や平和のことについても。 同じ女性として 彼女に伝えたいことがたくさんあります。 今、13歳。 彼女の人生はこれからです。 たくさんのことを吸収してほしいと思います。 この世の中には 美しいものがたくさんあるのです。 それらを 心の中に詰め込んでほしいと思います。 秋の夕べ 夕焼けの空を見上げる楽しさも 雨上がりの嬉しさも 藤袴の 甘く優しい香りも #
by miyamagakure
| 2008-10-30 09:47
| 日々の徒然
先日の午後7時頃でしたか 夫が「月がきれいだから」と私を外に呼んでくれたのですね。 私、慌てて、サンダルを履いて外に出てみました。 ・・・本当にきれいだった。 月は皓々とあたりを照らして 雲までも白く輝いていました。 ・・・夫は自信ありげに 「仲秋の名月やな!」って(笑)。 そう、夫はいつだって ちょっと違うことを言ってのけるのだけれど でも、月の美しさを前にして ただ大切にしたいのは 月の呼び名などではなく 佳い月夜だよ、と言って妻を呼び寄せ ともに月を眺めてくれたその優しさ。 あなたとはこの世においても そして先の世においても こうやってともに 月を眺めていたのかも知れない、と思う。 生死を幾度となく繰り返す中で 私は あなたと どれほど長い時間をともに過ごしてきたのだろう。 「先の世」・・・・それはもしか 記紀歌謡の頃にまで 遡ることもあるのだろうか。 三輪山の背後より 不可思議の月立てり はじめに月と 呼びしひとはや 山中 智恵子 #
by miyamagakure
| 2008-10-27 08:36
| 日々の徒然
今日は姫路の奥の方に行き 夕暮れの蜩の声を聴いて参りました。 この季節、蜩の声は何より心に響き 私の心を鎮めてくれます。 森のそばにちいさな川がありまして 今日は2時間ほど、その水際で遊んでおりました。 そう、こんなにゆったりとした気持ちで時間を過ごしたのは 一体どれくらいぶりでしょう。 夫は裸足になり、川をせき止め 魚をつかまえて遊んでおりました。 娘は「少し疲れた」と言って、車の中で本を読んでおりました。 私はちいさな木の枝を片手に水際に座り込み 水面に波紋をひろげたり 流れてくる桜の葉を集めたりしておりました。 ・・・・何かをするために、何かを早く終わらせるために 必死になって時間を過ごすのではなく 何の目的も持たず、何も考えず、ただ川の流れを見つめている・・・・ 自分の中にそんなふうに時間を過ごすことのできる部分がまだ残っていたのだと 何だか・・少し嬉しくなってしまいました。 そう、水面に波紋を広げてみたとて 流れてくる木の葉を枝で掻き寄せ集めたとて 何がどうなるわけでもないのです。 でも、その時だけは 42歳の私がまるでちいさな子どものように 飽きず、同じことを繰り返していたのでした。 森の上からは蜩の声。 かなかなかな と降りそそぎます。 山の頂上を見上げれば 樹々が音をたて風に靡き その遙か上には蒼い空が広がっていました。 ・・・・思えば13年前の夏 私は長女を産んだばかりで まだ体調も戻らぬまま 今は亡き祖母の元を訪れたのでした。 祖母は曾孫の誕生をそれはそれは喜んでくれ 私の娘に何度も頬ずりをしてくれました。 娘を無事祖母に見せることができ 安堵しつつ祖母の入所していた特養を出たときに その入り口付近で 樹々の大きくざわめく音を耳に致しました。 今、祖母の元を離れたら今度はいつ逢えるかわからない。 今日祖母と逢ったのが、もしかしたら今生での最後であるのかも知れない。 そんな後ろ髪を引かれるような思いで祖母の居る特養を離れ 今、自分が頼りなく抱いている娘を見つめ 私は本当にこの子を無事に育て上げることができるのだろうかという まこと言いようのない不安にさいなまれ ・・・そんな想いの中 大きく風に揺れざわめく樹々を見つめていたのでした。 今では祖母も既にこの世の人ではなく あの時、私の腕の中にいた娘も13歳の夏を迎え 私だけが変わらずこの地で生きているのです。 いえ、自身が変わっていないなどと それは私だけが思いこんでいるだけのことであり おそらくはこの私も 時の流れとともに少しずつ変わってきているのでしょう。 天の川 みなわさかまきゆく水の はやくも秋の立ちにけるかな 源 実朝 暦の上では早くも秋を迎え 吹く風 ものの影にも幽かな秋を感じるようになって参りました。 実朝のこの清冽な歌を目にしますとき 音をたて流れゆく時を とどまることなくただ流れてゆくことしかできぬいのちを思います。 山上をゆく風も 雲の流れも 咲く花も あの頃と同じものであるのに 私たちだけが この世から1人ずつ姿を消してゆくのです。 今日の夕暮れ時 幽かに耳にしました蜩の声を 私は決して忘れることはないでしょう。 蜩の声は胸にこだまし まるで薄絹のように 私のこころを幾重にも包んでくれるのです。 #
by miyamagakure
| 2008-09-17 11:11
| 日々の徒然
今日、あなたと一緒に「テルーの唄」を聴きました。 あなたは何度も何度も聴いていましたね。 人影絶えた野の道を 私とともに歩んでる あなたもきっとさみしかろ 虫も囁く草原を ともに道行く人だけど 絶えてものいうこともなく ・・・この歌詞を聴いて 私は あなたと共に歩くこの一生を想いました。 そう、あなたと出逢って25年目。 夫婦として16年目。 このままずっと あなたのそばにいられるものとばかり思っていました。 そんな時に起こった この5月から6月にかけての大きな出来事。 ・・あなたのために もっと良い妻でいれば良かったと どんなに悔やんだことでしょう。 ひたすら「こんな妻でごめんなさい」と謝り続ける私に あなたは「俺には過ぎた嫁さんだ。」と包んでくれました。 「私たちはいつまで一緒にいられるのだろう」と呟く私に あなたは「三世永遠 いつも一緒だ」と笑って答えてくれた。 ・・・この一生をずっとそばにいる、というだけではなく どちらかがこの世を去っても 生と死とを越えてともに在る、とあなたは答えてくれました。 心を何にたとえよう 一人道行くこの心 心を何にたとえよう 一人ぼっちの さみしさを 覚えていますか? 結婚間もない頃 2人で話しましたね。 もしもどちらかが先に逝ってしまったなら 遺された方がこの世を去るときには、 先に逝った人が、遺された片方を必ず迎えに来るという約束。 私はあなたに「迎えに来るときにはタキシードで来て頂戴ね」とお願いし 「もし、私が迎えに来るときには白無垢で来ますからね」と。 「早くあなたを迎えに来たくて足早になって 私、着物の裾を踏んでこけるかも」と言って笑いそうになり つ、と涙がこぼれそうになった。 本当はわかっている。 誰も迎えに来ないことくらい。 この世を去る時にはたった独りだということくらい わかっている。 けれど、何もかも不確かな時代なのだから せめて 好きな人の手だけはずっと離さないで生きていける そんな夢を見てもよいのではないか と。 ・・・あなたが言うとおり 私たちは生と死とを繰り返しながら そのたびごとに出逢ってきたのかも知れません。 時にはかけがえのない友人として 時には親子として。 そしてこの世において 夫と妻という形であなたのそばにいられることに 私は深く感謝したいと思います。 おまえを妻にして本当に良かった と思ってもらえるように ずっと努力していたいと思います。 いつかは終わりが来るわけではありますが そしてお互いの持ち時間があとどれほど残されているのか知る術もないのですが どちらかが先にこの世を去るときに 決して後悔しないよう 一日一日を大切に過ごしていたいと思います。 #
by miyamagakure
| 2008-09-13 22:13
| 日々の徒然
|
ファン申請 |
||