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このブログを始めて4ヶ月が過ぎようとしています。 この間、たくさんの方においでいただきまして 改めて感謝の気持ちでいっぱいでございます。 皆さま 本当に有難うございます。 メールを頂戴しましたり ランキングに投票頂きましたり ・・・どれほど心の支えとなっていることでしょう。 重ねて御礼申し上げます。 この「深山隠れ」 実は私のメインブログのミラー版でもあります。 メインのブログはもうすぐ7年目に入ろうとしておりまして 記事の件数は1700件余り。 さすがに かつて自分の書いた文章とは申しましても そのほとんどを忘れ去っておりまして この「深山隠れ」は いわば記事の整理倉庫としての役割を果たしております。 しかし、整理するためのスペースというだけでは決してありませんで 日本的なもの、暮らしの知恵、祖母から受け継いだ様々なものを この空間に書き残しておきたく思っております。 ・・・今日は自身にとっての「和」につきまして 心に浮かぶことを書き綴って参りたいと思います。 私にとりまして「和」というものは 生死の問題に直接触れるということです。 確かに「和」と申しますと・・・例えば着物、和風建築、茶華道、和歌など 様々挙げることは出来るのでしょうけれど より根元的なものは「生死の問題」ではないかと思うのです。 例えば今年の夏、娘と共に京都の坪庭を見てまわりましたけれども 坪庭を眺めるということは自分の心の内を眺めることではないか、と。 もっと言いますと 心の内を眺めると言うよりは 凝視する、深く見つめるといった方が正しいのではないだろうかと。 ・・・坪庭の笹を風が揺らします。 そうしますと 自身の心の内をも風が吹き抜けます。 心の片隅が幽かに揺れ 風の余韻が広がります。 そよと揺れている自身の心に気付き ほんの少し驚くのです。 ・・・あなたは 風に揺れる笹の葉に何を想いますか? 人によりましては笹の葉の美しい色合いに惹かれ その色をどのように表現するべきか様々思いを巡らすことでしょう。 そしてまたある人は 笹の葉擦れの音を愛おしく思い いつまでもそばに佇み耳を澄ますことでしょう。 着物の柄に笹の葉をあしらおうと その様子をまぶたに焼き付ける人もあるかも知れません。 ・・・私は風に揺れる笹を見て 秋の朝に吹く風を想います。 今年の立秋の朝、夫を見送るために外に出た私は 音をたて吹き抜けていく風に思わず足を止めたのでした。 そう、秋を迎えた途端 風が変わったのです。 風の色も 音も 温度も。 朝の陽の光はほんの少し金色がかって 吹く風の音もつよくなって 肌を包む風もほんの少し冷ややかで。 私は外の風景を眺めながら 「本当に秋がやってきたのだ・・・」と思いました。 秋の風に吹かれますと 心は頼りなくなります。 足元からすくわれてしまうような そんな気さえ致します。 夏の眩しい光にも 鮮やかな花々にも別れを告げ これからは自分に帰っていく季節を迎えるのです。 一昨年 私は大切な人を亡くしました。 ちょうど紅葉の美しい頃のことでした。 今までは 逝ってしまった人を思い起こすたび心は悲しみでいっぱいになり 何を見、何を聴いても 思い出は全てその人に繋がっておりました。 ・・・ふと思ったのです。 大切なご家族を そして友人をこの世に置いて たったひとり 旅立たねばならなかったその人は どんなに心細い思いをなさったことだろう、と。 どんなに淋しい思いを抱いてこの世に別れを告げたことだろうと。 そのことを考えれば ただ自分の悲しみで精一杯になっていた自分を恥ずかしく思うのです。 その方の心細さ、淋しさをもっと思いやるべきではなかったか。 「怖くないよ、大丈夫だよ」と柔らかく包んであげるべきではなかったか。 そして何より思いますことは その方が生きていらした時間を 一瞬一瞬、もっと愛おしむべきだった、と。 多くの方々を見送ってきた私も いつかは見送られる立場となるわけです。 そのことを思いますとき、そしてこの人生は永遠のものでは決してなく 必ず終わりの日は来るのだと思いを定めますときに 自身の心のうちを 秋の風にも似たものが吹き抜けていくのです。 「和」をどのようにとらえるかは その人によって様々であることでしょう。 そしてまた正解もないと思うのです。 その人がどのように生きていこうとしているのか どのような生死観を持っているかで その捉え方も大きく変わってくることと思います。 春に咲き誇る桜も 初夏の不如帰も 秋の花野も全ては移ろってゆきます。 その一瞬一瞬を愛おしむことのできる自分でありたいと 切に思います。 時は音もなく過ぎ 指の間からさらさらとこぼれ落ちます。 移りゆく季節の中で自分の眼に届く美しいもの こころ動かされるもの それらの奥に何が隠されているのか 深く見つめる自分でありたい。 時よ止まれと祈りながら この時に思いをとどめながら いつかは この世を去るひとりとして。
by miyamagakure
| 2007-09-21 03:14
| 日々の徒然
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