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夢さめてさめたる夢は恋はねども 春荒寥とわがいのちあり 筏井嘉一 時折、私は この人生の どのあたりを走っているのだろうと思うことがある。 まだ折り返し地点にたどり着いていないはずと 心安らかに思う時もあれば 折り返し地点など とうに過ぎているかもしれないと感じ 夜中にじっと身構えることもある。 松陰の言葉に 十歳にして死ぬ者には、その十歳の中におのずから四季がある。 二十歳にはおのずから二十歳の四季が 三十歳にはおのずから三十歳の四季が 五十、百歳にもおのずからの四季がある。 とある。 私の今の生は どの季節に当たるのだろうか。 自分の生が とうに折り返し地点を過ぎているかもしれないことを思えば やがて その思いは我が子へと向かう。 隣で寝息をたてている娘の頬を撫で この子の生涯を見届けてあげたいと切に願う。 叶わぬ願いであったとしても、である。 今はこうして私が生きて 我が子を守っているけれど 私がいなくなったあと、この子はどうやって その身を守っていくのだろうと思うのである。 この子が年を重ね 晩年を生きるようになったとき 一体どのような人生を歩いているのだろうと思うのである。 だから私は しっかりと娘を胸に抱く。 我が子がいずれ年老いたとき 私の温もりをいつも思い出すことができるように。 娘にも「みいちゃんがおばあちゃんになったとき この抱っこを思い出すんだよ。」と言っている。 今 12歳の娘を そして30歳の娘を 50歳の、80歳の娘を抱っこするような気持ちで胸に抱く。 何十年か後の娘に届け という思いで抱っこしている。 いつしか暦の上では春を迎え 見上げれば 雲は柔らかに空を流れる。 万物が目を覚まし 生きることを謳歌するその季節の始まりにあって 私は 自分の生の行く末を思う。
by miyamagakure
| 2008-02-05 08:29
| 日々の徒然
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