深山隠れ
2012-05-26T10:17:13+09:00
miyamagakure
日々の暮らしを綴ります
Excite Blog
胸に
http://miyakagaku.exblog.jp/18059412/
2012-05-26T10:17:40+09:00
2012-05-26T10:17:13+09:00
2012-05-26T10:17:13+09:00
miyamagakure
日々の徒然
比較的元気な日々を送っている。
腹痛その他の痛みは相変わらずではあるけれど
日常生活にさほど支障はない。
この頃はやはり寝付きがよくない。
寝入ったとしてもすぐに目が覚めてしまう。
無意識のうちに怯えているのだろう。
そんな時、まんじりともせず
布団の中で闇を見つめる・・・などとそんなことはしない。
完治したときのことを思い浮かべ
元気になったらこうしよう、ああしようとひたすら夢を描いている。
そうすると いつのまにか眠りの世界へ。
最悪のことを考え、備えはするけれど
悲観的にはならない。
ずっと昔・・・夫が「○○ちゃんはものすごい楽天家だ」と言ってくれたけれど
ひょっとするとそうかも知れないと思う。
表面的にはものすごく暗いけれど(笑)
根本的には明るいらしい。
今、その明るさに少なからず助けられている。
なんで自分がこんなことになったかなと思うけれど
仕方ない、自分が持って生まれてきたものだ。
自分にはこういう宿命があったのだと思うだけ。
おそらく、過去世の自分も似たような境遇だったのだろう。
今の私と同じく、病気のことで苦しんでいたに違いない。
それならば これから先
過去世の自分と全く同じ人生を歩くなどナンセンス。
この世で少しでも改善していこう。よくなっていこうと思う。
きっと、過去世の自分も
「来世の自分よ、さらにより良く生きよ」
「人生はさほど長くはない、大切に生きよ」と願ったかもしれない。
それを思うと この世の生を
過去からの単なる繰り返しで終わらせてなるものかと。
また そのための信仰ではないのか、と。
蓮祖曰く
「但生涯本より思い切て候
今に飜返ること無く其の上又違恨無し
諸の悪人は又善知識なり」
富木殿御返事
この「悪人」という言葉を「病」に置き換え
日々 胸に刻んでいる。
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時の谷間で
http://miyakagaku.exblog.jp/18033039/
2012-05-22T10:20:44+09:00
2012-05-22T10:20:37+09:00
2012-05-22T10:20:37+09:00
miyamagakure
日々の徒然
昨日、金環日食。
パパが「ちょっと薄暗いぞ」と声をかけてくれた。
実は私自身、金環日食そのものよりも
辺りが薄暗くなることの方が楽しみだったので(変だ)
すぐに外に出、あたりを見渡してみた。
・・・うん、やっぱりちょっと薄暗い。
透明な夕暮れといった感じ。
なかなかいいぞとひとり悦に入っていたら
忙しい中、パパがわざわざ望遠鏡を用意してくれた。
レンズを覗いてみると、おお、まさに太陽が欠けて行く途中。
細い、細い三日月のようだ。
道路にうつる木漏れ陽を見れば
みな 弓なりのかたち。
なんだか不思議だなあ・・・と思った。
こんな風に いつもと違った太陽を見られるというのもそうなんだけれど
もっと言えば「永遠の中の一瞬」を感じる不思議さ、だろうか。
このたびのように 広範囲において金環日食が確認されるのは932年ぶり。
当時西暦1080年。
後三年の役あたり、白河上皇の院政の始まる少し前。
次に今回のような金環日食に出会えるのは
これから300年後の西暦2312年4月8日。
その時には日の出直後から日食が確認されるのだそう。
そしてさらに西暦2361年3月8日、
近畿地方においては実に509年ぶりとなる皆既日食。
西暦2685年3月27日にも
かなり広い範囲にて金環が見られるとのこと。
・・・・932年ぶり、300年後、600年後、などと言われても
なんだかぴんと来ないのだけれど
前回の平安時代末期には私は誰と一緒だったのだろう、と思った。
そして数百年後、今度は誰と一緒なのだろうと。
ふと 出勤途中、通学途中の道行く人々に想いを馳せる。
そして この時を一緒に過ごした全国の人々にも。
既にお亡くなりになっている方々も
再びこの世に生まれ
昨日の朝 何処かで同じ空を見上げていたかも知れない。
朝、出勤前の忙しい時間帯に
わざわざ望遠鏡を用意してくれるパパを見ながら
そして レンズをのぞき込み大喜びの娘を見ながら
300年後も、そして600年後も
ずっと一緒にいられるといい、と思った。
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夢
http://miyakagaku.exblog.jp/17438321/
2012-02-28T15:43:56+09:00
2012-02-28T15:43:58+09:00
2012-02-28T15:43:58+09:00
miyamagakure
日々の徒然
時折、過去の日記を読み返すことがあります。
過去において 自分はどんなことを考えていたのだろう・・と。
本当にささやかな空間ではありますが
そして自分のこころの内を書き綴ったものにすぎないのですが
やはり書き続けてきて良かったなと思います。
何故長い間書き続けてきたのだろう・・とも思いますが
元来口下手ですし、文章でしか自分の思いをあらわすことが
出来なかったからかもしれません。
この傾向は幼い頃からあったものです。
リアル同様、ネット上での交流もそう幅広いものではありません。
ただ、交流のある方々とのお付き合いは
これからも大事にしていきたいと思います。
よくネットはバーチャルだと言われますけれども
そういうものでもないと思います。
考えようによっては ものすごくリアル。
相手の考え方、趣味嗜好が透けて見える。
だから私自身、ネットをバーチャルなどとは思わないわけです。
話は少し変わりますが、先日葬祭会館にて打ち合わせ。
自分の葬儀に関しては家族・親族葬にて執り行うことにしました。
また、この「深山隠れ」の最後の日記は夫が代理で更新するか
あらかじめ用意しておいた私のご挨拶か、どちらかになることと思います。
本当はね、ずっと長生きして
おばあちゃんになっても自分で更新していくのが夢。
まだ45歳なのに 自分のお葬式のことなんか考えたくないし
何で考えなあかんねん、と何処かに文句を言いたい気持ち。
毎日 揺れ動いています。
・・・これから数十年後 腰も曲がり、眼も遠くなって
それでも笑顔皺のいっぱいある私が「今日も更新しまっせ!」と
元気にパソコンに向かえたらいい。
そして「あんた、再発せんと、こない長生きしてもうたやんか!」と
リアルのお友達に背中をばしばし叩かれてもみたい(笑)。
無責任な楽観主義は嫌いですが
それでも「再発してたまるか」と挑み
長寿を勝ち取りたいと思うのです。
途中、体調をくずし
更新の止まるときもあるかも知れないけれど
それでも精一杯 この空間で
書き続けていけたらいいなあ・・・と思います。
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思うこと徒然
http://miyakagaku.exblog.jp/17433451/
2012-02-27T15:04:00+09:00
2012-02-27T15:05:58+09:00
2012-02-27T15:04:24+09:00
miyamagakure
日々の徒然
このたびの検査では何とかセーフだったのだけれど
これがいつ、セーフでなくなるのかを考えたら
やはり精神的に辛くなる。
生きている限り、これが続くのだろうなあ・・・と。
他の癌のように
5年間再発がなかったらOKです、とならないものか。
他の元気な方々は(主に60~70代の方々か)
再発のことばかり考えてたらいけないと仰るのだけれど
患者にとってみたら・・・考えないわけにはいけない。
それに同じ「大丈夫」という言葉にしても
こちらの心に寄り添ってくださる方の場合には
本当に有り難く思えるのだけれど
「暗いよ」とか「たいしたことない」とか仰る方の「大丈夫」は
(申し訳のないことだけれど)全く心に響かない。
中には「私はずっと元気だったのよ!」と
若い頃からの武勇伝をずっと話し続ける人だっている。
おそらく「私みたいに明るかったらこんな風に元気でいられる」と
仰って下さっているのだろうけれど、お気持ちはよく分かるのだけれど
少し方向が違う。
再発したときに(本当の意味において)強くあるために
今、私は未熟ながらも準備をしている。
右往左往し、精神的にパニックになり慌てているわけではない。
なのに 再発のことを踏まえ
準備を始めている私は「暗い」のだそうだ。
はっきり言って、放っていてほしい。
娘も独り立ちし、介護するべき親もこの世の人ではなく
あとは我が身と夫のことだけ心配していればいい状況だったら
もう少し、今の私の行動も違っていただろう。
けれど、まだ40代の私には育てるべき子どももいる。
介護するべき親もいる。
自分のことだけを考えているわけにはいかない。
だからこそ今のうちに、
身体が元気なうちに手を打っておかなければならない。
手を打って、準備して、そのことごとくが無駄に終われば
それが1番幸せなことではないのか。
・・・バンジ-ジャンプを考えれば一番いいのかも知れない。
100メートルの高さから飛び降りなければならなくなったとき
しかも、その100メートルという高さは絶対に変えられず
とにもかくにも飛び降りないといけないとなったとき
かねてから「大丈夫、大丈夫」と思っていて
ほとんど何の準備も無しに
いきなり100メートルの高みから下を見下ろせば
たいがいの人は怖れをなし平常心を失ってしまうだろう。
(特に私はそうだ)
けれど、常に200メートルほどの高さから下を見下ろしていれば
いざ100メートルから飛び降りるとなったとき
「ああ、こんなの軽いじゃん。想定内だ」と
(少しは怖いだろうけれど)十分対処することも出来る。
私は・・・・自分が弱いことを知っている。
本当に、弱い。
だから強くなろうと努力している。
その、強くなろうとする努力のあらわれが
このたびの 再発に備えての様々な準備なのである。
つよくあろうとして必死になっているところへ
「暗い」だの「考えすぎ」だの
言いたい人は言えばいい。
・・・私はまだいい。
十分耐えていける。
けれど私に「暗い」と言ってくるような人々が、その余計な干渉を
今度は他の患者にも向けているかもしれないと思ったら腹が立つ。
私よりも繊細な人、傷つきやすい人に
同じく無神経な言葉を言っているかも知れないと思ったら、腹が立つのである。
・・・・今日は、思っていることをそのまま正直に書いてみました。
自分自身、今、置かれている状況になってみて 初めて知ることばかり。
嬉しいことも嫌なことも、悲しいこと、悔しいこと
本当にいろんな事が起きてきます。
今まで病気と闘ってきたひとたちも
こんな風にいろんな事を考えて来られたんだろうなあ・・・と。
本当に大変だったろうなあ・・・と思いました。
自分が経験しないことには本当に分からぬことばかり。
今、改めて学ばせていただいています。
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想い
http://miyakagaku.exblog.jp/17335454/
2012-02-07T14:10:41+09:00
2012-02-07T14:10:41+09:00
2012-02-07T14:10:41+09:00
miyamagakure
日々の徒然
来週早々に再度の検査。
結果の分かるのは16日。
・・・診察室の前の椅子に座って
名前を呼ばれる瞬間が最も怖い。
怖いけれどなんとか乗り越えて
検査を受け続けなければ。
とにかく早期発見にまさるものはない。
悪いものを切除していけば
それだけ自分の生きる時間も長くなる。
一昨日の診察の時にも
再発した場合の余命について先生に確認させていただいた。
幸いなことに 再発したとしてもその進行速度は遅く
最悪でも数年は生きられる見通しである。
ただ、完治は望めない。
切除手術を繰り返しながら生きていくしかなく
おそらく末期になればその手術も出来なくなるだろう。
診察の途中、幾度か「たちの悪いものなんです」と先生が仰った。
最初の頃(昨年12月頃)
大腸癌や胃癌ならまだ良かったのに・・・との先生の言葉が
今になって思い出される。
大腸癌や胃癌ならデータが多く揃っているし
治る可能性もあるからだろうか。
再発すれば余命は数年、
そういう心構えで生きていくことが必要なんですねと
再度先生に確認する。
先生は「そうです」と。
不安な気持ちは分かりますが
その不安なままで毎日を生きていたら勿体ない、とも言ってくださった。
そして「今はまだ再発していないから大丈夫ですよ」と強調してくださった。
その言葉に、先生の温かさ、ご配慮を感じ
思わず涙がこぼれた。
未来のことは分からないけれど
今 目の前にある「一日」を
大切に、過ごしていこうと思う。
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温かな記憶
http://miyakagaku.exblog.jp/17304495/
2012-02-01T09:55:07+09:00
2012-02-01T09:55:06+09:00
2012-02-01T09:55:06+09:00
miyamagakure
日々の徒然
昨日、京都から畳紙を届けていただく。
家紋と娘の名前の入った畳紙。
本来ならばお嫁入りが決まってから作るものなのだろうけれど
出来ることからどんどん進めておく。
「急いで作らなくてもよかったのにね」と
あとで笑い話になることを願いつつ。
長襦袢の反物、そして小紋の反物も
近々呉服屋さんに持って行き
娘の寸法に合わせて仕立てていただく。
色無地は京都のお店で染めていただくので
もう少し、私の体調が元に戻ってからのこととなる。
ともかく、娘と一緒に呉服屋に行き
そこでのやりとりなどを彼女に直に見せておきたい。
彼女が大人になったとき
「お母さんと一緒に呉服屋さんに行ったなあ・・・」と
思い出してもらえたらいい。
かつて自分のことを心配し、力を尽くしてくれた母がいた
・・そういう温かな記憶を作っておいてあげたい。
その記憶が、娘の生きる気力に結びつくのだと思う。
ただ一度だけでもそういう思い出を作っておけば
娘は自分の力で前に進んでいける。
呉服屋さんにとどまらず様々なところへも
自分で足を運び、解決し、力強く生きてくれる。
私がそうであったように、彼女もいろんな所で恥をかくだろう。
情けない思いも 心細い思いも。
それでも その記憶の底にはいつも私がいて
「大丈夫だよ」と、娘を守っていたいと思う。
娘がいくつになったとしても。
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心細さ
http://miyakagaku.exblog.jp/17284290/
2012-01-28T09:35:00+09:00
2012-01-28T09:35:01+09:00
2012-01-28T09:35:01+09:00
miyamagakure
日々の徒然
今日は仕事で大阪へ。
会社で3時間ほどの研修を受ける。
多くの書類を前に頭がパンクしそうになったのだけれど
夢中で読み、何とかインプット。
無事研修を終え、帰りしな梅田のデパートに立ち寄る。
鳩居堂に立ち寄り
梅と流水、そして白椿の葉書を購入。
病気のことで精神的に参っているのだけれど
美しさに対する感受性が未だ残っていることに、少し安心する。
老松では鴬の琥珀を購入。
娘の「わぁ^^」と喜ぶ顔が眼に浮かぶ。
呉服のコーナーでは振袖を見
4年後の娘の成人式に思いを馳せた。
・・・・正直に書いていいかな。
今日、呉服のコーナーでね
三世代揃って来店なさっているご家族を見たのだけれど
おそらくお嬢さまのご結婚準備なのかな
お母様、お祖母さまも一緒にいらして。
着物を前にあれこれ談笑なさっていた。
・・・・いいなあと思った。
私の母は、独りで嫁入りの準備をした。
その時 頼るべき実家の母(私の祖母)は
既にこの世の人ではなかった。
私も、嫁入り準備を独りでこなした。
母が身体が弱く、とても頼ることなど出来なかった。
・・・20年前のちょうど今頃のこと
たったひとりで 呉服屋の暖簾をくぐった。
その時の心細さ。
親子連れへの対応に忙しい呉服屋の店員など
こちらには見向きもしない。
私とそう年も変わらぬ人が
自分のお母さんと一緒に着物を選んでいる様子を見て
いいなあ・・・・と思った。
一枚、一枚、いろんな着物を肩にあててみては
あれが似合う、これがいいと笑顔で話していた。
なんだかそこだけぽかぽかして 春のようだった。
・・・お母さんと一緒に着物を選ぶって
あんなにぽかぽかしてあったかいことなんや、と初めて知った。
それだけに 自分のそばには誰もいないということが
余計に身にしみた。
だからこそ 娘にはそんな淋しい思いをさせたくないと思う。
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闘い方
http://miyakagaku.exblog.jp/17261138/
2012-01-23T17:09:45+09:00
2012-01-23T17:09:47+09:00
2012-01-23T17:09:47+09:00
miyamagakure
日々の徒然
退院してきてからというもの
精神的にまことに忙しない日々を送っている。
再発のことを思えば のんびりと過ごしてはいられない。
今のうちに出来ることを・・・と思うあまり
焦りの気持ちも出てきている。
1月末には葬祭会館での打ち合わせ。
お元気な方々から見れば 一体何を焦っているのだと
半ば滑稽に見えるかも知れないけれど
出来るときに出来ることをしておきたい。
幸運にも再発せずに生きられたら
その時にこそ「無駄なことしてたね」と家族で笑いあえばいい。
むしろ・・・笑い話になることを祈るのみ。
娘の長襦袢の用意を始めた。
訪問着については数年前に仕立てていただいたので
あとは長襦袢、小物の準備である。
同時に色無地の用意も始める。
これについては娘とともに京都に行き、白生地を染めていただく。
・・・もしも私が入院、再手術となれば
とても着物のことにまで手が回らなくなるだろう。
そして万一、私がいなくなったあと
パパと娘はどうやってお嫁入りの着物を揃えるのだろう。
おそらく右往左往するのではないだろうか。
そんなことを考えると辛くなってくる。
娘にそんな心細い思いなどさせたくない。
こうやって、万一に備え様々なことをするのも
ひとえに自分が強くなるため、である。
外堀をきっちりと埋め、母としてやるべき事を終え
やがて来る病に対し「来いやー!!」と迎え撃つための
私なりの方法なのだと思う。
決して後ろ向きになっているわけではない。
し、しかし、いい年をした女性が
「来いやー!」だなんて、それはちょっと・・・と
自分でも思うのだけれど(笑)
でも、それが今の正直な気持ちかな。
いったん再発してしまえば死を待つしかない。
100万人に1人の発症率。
白状すれば・・
何で私なんだ?と思う。
まだ45歳。
そんなんで死ななあかん、ておかしいやろ、というのが
本当に正直な気持ちである。
諦めない、というよりも
諦めたくない。
だから、万一再発したときに
がくっと気落ちしないよう、
母として、妻としてやるべき事をきちっとやっておく。
後顧の憂いのないよう
ひたすら 病気との闘いに専念できるように。
それが自分なりの闘い方なのだと思う。
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病によりて
http://miyakagaku.exblog.jp/17231768/
2012-01-17T16:42:13+09:00
2012-01-17T16:42:14+09:00
2012-01-17T16:42:14+09:00
miyamagakure
日々の徒然
これからこの空間に書き留めることは
いつわりのない呟き。
思いつくままに書いていこうと思っている。
今のような状況になってみて
いろいろとわかることがあった。
自分自身、幼い頃から生死について考えることが多く
自分でも変な性格だなあ・・・と思っていた。
死について考えるなんて、本当ならしたくないはずなのに
それでも、意識の底から勝手に浮かび上がってきていた。
・・・今ではそれでよかったと思っている。
もしも 今まで死についてそう考えることもなく
「そんな暗いこと考えてどうする」という感覚の持ち主でいたなら
おそらくは現在、精神的にもっと参っていただろう。
再発を恐れながら生きていくということは
想像していたよりもしんどい。
腹痛ひとつとってみても「再発か?」と疑わざるを得ない。
精神的に非常に消耗している。
いや、再発したとしても完治できる可能性があるのなら
もうひと踏ん張り頑張ろう、となるけれど
ひとたび再発してしまったら
あとは死を迎えるしかない。
余命数年というゴールが待ち構えている。
そのゴールが 今のこの地点から透けて見えてしまう。
・・・本当に無念である。
こんな時、信仰をたもっていて本当によかったと思う。
以前の日記にも書いたことではあるけれど
縋るつもりもないし、助けてくれと懇願するつもりもない。
ただ、悔いない人生を生ききる、と
仏前にて誓うだけである。
自分の本当の願いは 96歳まで元気に生き続けて
「最期まで再発しなかったよ!」と
「だから望みを捨ててはいけない。あなたも大丈夫だよ!」と
同じく病気に怯える人々に伝えていきたいということ。
自分が再発に怯えた分だけ
心細さに眠れぬ夜を過ごした分だけ
他の人々の気持ちを理屈抜きに理解することが出来るのだと思う。
・・・何で96歳?と思うのだけれど(笑)
ただ、何となく・・*^^
そんなに長生きできたら最高だろうなと。
手術から十数時間後の執刀医の言葉。
それをきっかけに
私はさまざまなことを考え始めた。
確かにしんどいことではあるけれど
そしてこれはずっと終わらないものだろうけれど
自分の人生に芯のようなものが据えられた、と感謝している。
蓮祖曰く
「このやまひは仏の御はからひか
そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人 仏になるべきよしとかれて候
病によりて道心はをこり候なり」
妙心尼御前御返事
]]>
雑感あれこれ
http://miyakagaku.exblog.jp/17226381/
2012-01-16T14:37:32+09:00
2012-01-16T14:37:33+09:00
2012-01-16T14:37:33+09:00
miyamagakure
日々の徒然
手術を受ける前には・・・頑張ってこれを乗り越えさえすれば
病院と縁を切ることが出来ると思っていた。
痛みや体調不良も一気に改善されると。
そしてまた
組織検査が良性でありさえすれば大丈夫だと思っていた。
結果、そのことごとく 予想を裏切り
病院との縁を切ることも叶わず
痛みや体調不良は変わらず
そして良性であったにもかかわらず
再発の不安を持ち続けなければならないことに。
再発したとしても 完治を目指せるのであれば
こうも悩まずにいられたのだろうけれど
いったん再発してしまえば
抗癌剤も効かず、治療法もなく
1年生存率は98パーセント、5年生存率は20~48パーセント
10年ともなればさらに数値は低くなる。
この日本国内において
今まで5年以上生存できた人は22名のみ。
再発を防止するための薬も治療法もない。
症例があまりに少なくデータもほとんどない。
病院の先生も「初めて見る症例です」と。
これからどうなっていくのか執刀医にもわからない、とのこと。
何から何まで手探りなのか・・・と。
そういう様々なことを考え続ける自分と
いや、まだ再発したわけではないのだから、と
自身を元気付けようとする自分とがいる。
それと同時に
再発するわけがない、再発などしてたまるかと思いつつ
けれど 何処かでその時のために備えようという気持ちも。
要するに、自分の気持ちなんて刻一刻と変化し
不動なんてことはあり得ない。
前向きの気持ちと、明るい方に眼を向けようとする想い、
そして万一の時のために備えようとする気持ち。
どれも全て、私の想いである。
・・・今日は16日。
3日後に
再発しているかどうか、第1回目の検査結果が出る。
こういう検査を これからずっと(生きている限り)
続けていかなくてはならないのかと暗澹たる気持ちにもなるけれど
仕方ない、生きていくために必要なことだ。
希望を持ち続けることと
万一に備えることと
同時進行は本当に難しい。
私自身、数年後の娘の成人式の振り袖姿を楽しみにしながら
一方では(遠い将来に備え)娘に赤ちゃんの離乳食の作り方を教え始めている。
娘も「お母さん、長生きしてな!」と笑顔で言いながら
私の作ったおにぎりの写真を携帯で撮っている。
正直言って・・・娘も私も 未だ混乱している途中である。
これからこのささやかな空間にて
今の自分の気持ちを素直に書き留めておきたいと思う。
弱い人間であるから
時には落ち込むところまで落ち込むと思う。
私自身、そういう自分をも何とか受け入れようと思っているし
逆に、この空間で自分の気持ちを全て書き出すことによって
勇気が出てくるかも知れない。
弱さをさらけだすことさえも
自身のつよさを引き出すための足がかりとしたい。
再発などしたくない。
考えたくもない。
娘のために生きていたい。
・・・運がよければ
再発しないまま生きていけるかも知れない。
そんな、さまざまな思いの交錯する日々である。
]]>
大切に
http://miyakagaku.exblog.jp/17216800/
2012-01-14T16:14:07+09:00
2012-01-14T16:14:10+09:00
2012-01-14T16:14:10+09:00
miyamagakure
日々の徒然
・・・たくさんのことがありすぎて
一体、何から書いたらよいのかわからない。
今日も神戸の病院へ。
明日も、検査のため再び神戸へ。
5日の検査結果でわかったこと。
腫瘍自体は良性だったのだけれど
・・・最終的に 手放しでは喜べないことを知る。
定期検査はこれから先もずっと必要。
(腫瘍が良性であったにもかかわらず)
再発した場合
5年生存率は20~48パーセント。
私のケースでは・・・再発する可能性は高いとのこと。
今はもう、何をどう書いてよいものか
文章を組み立てることもできないのだけれど
せめて 大切に生きていたいと思う。
]]>
全てを糧に
http://miyakagaku.exblog.jp/17136338/
2011-12-29T11:47:38+09:00
2011-12-29T11:47:37+09:00
2011-12-29T11:47:37+09:00
miyamagakure
日々の徒然
今抱えている問題は、今までにも幾度となく経験し
そのたびに何とか大丈夫で
ここまで来ているのだけれど
だから、今回もきっと大丈夫だと
自らに言い聞かせている自分がいる。
そう、きっと、大丈夫。
そんなに辛いことばかり起きるわけがない。
年明け、5日の診察日に
「先生がああやって脅かすようなこと言うから
私、ずーっと気に病んで大変だったんですよ!」
そんな風に笑いながら言えるといい。
・・・手術の翌日、痛む身体を庇いながら
カテーテルや点滴を引きずりながら歩いた、病院の廊下。
一歩、一歩が本当に痛くて
咳をするのも辛くて
でも、目の前に続く長い廊下を見て
「これを乗り越えていかなければ」と思った。
今回のことを通し 手術を控えている人の不安も知った。
人にとって「優しい」ということが
1番大切なんだと知った。
こんな時、どんな言葉をかけたらいいか
身にしみてわかった。
反対に、どんなことを言ったらいけないのかも知った。
術後、消灯後の暗闇の中
初めて迎える夜があんなにも長く 心細いものだったとは。
そして 夜明けがあんなにも嬉しいものだったとは。
これからの より良き生のため
全てを糧にしていこうと思う。
]]>
優しい人に
http://miyakagaku.exblog.jp/17136328/
2011-12-29T11:45:57+09:00
2011-12-29T11:45:52+09:00
2011-12-29T11:45:52+09:00
miyamagakure
日々の徒然
このたびの入院で思うことはたくさんありました。
まず、優しい人になりたい、ということ。
当初、良性だと伺っていた上での手術でしたので
術後の先生の意外な言葉に 本当に参りきりました。
いや、仮に悪性だったとしましても
例えば初期とか、完治する可能性が高いのであれば
元気を出して頑張るぞ!となるところでしょうが
今回の場合、症例が少なすぎること、データがほとんどないこと
そして「大腸癌とか胃癌ならまだよかったんですけどね」との言葉に
・・・ショックを受けまして
さすがに一時間ほど放心状態でした。
そんな時、看護師さんが病室に来てくださいまして
「大丈夫、大丈夫」と
背中を撫でて下さったんです。
背中に伝わる手の温もりが
本当に嬉しかった。
・・・上手く言えないけれど
本当に、優しい人になりたい、と思った。
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交錯
http://miyakagaku.exblog.jp/17121551/
2011-12-26T11:27:01+09:00
2011-12-26T11:27:07+09:00
2011-12-26T11:27:07+09:00
miyamagakure
日々の徒然
しばらくは、この空間が
私にとっての呟きの場となりそうである。
年明け5日の検査結果で「良性」と出れば
この物思いも晴れるのだろうけれど
もしも万一悪性と出た場合には
不安も心配もより大きくなっていくのだろう。
このたびの手術、「おそらく良性でしょう」との
先生の言葉に安心しながら臨んだものであったけれど
術後十数時間後には「悪性の可能性が出てきました」と。
私自身、その落差に少なからずショックを受けてしまった。
しかも、術後の痛みが続く状態での先生の言葉。
先生のその言葉は
もう少し後でもよかったのではないかと思うのだけれど
けれど、今そういうことを言っていても始まらない。
今、唯一自分にできることは、つよくなること。
執刀医の言うとおりであれば
悪性の場合、生存率は15パーセント。
担当医の言うとおりであるならば、良性。
ただし(良性であっても)再発は免れないので
そのたびごとに手術が必要となる。
手術など何度でも受けるから
良性であってほしいと切に願う。
娘の出産、育児を見届けたい。
娘を守りたい。
娘も16歳とは言えど やはり子どもの部分を残しているので
このたびのことについて未だその重要性を掴み切れていない。
お母さんはずっと自分のそばにいてくれると思っている。
入院しても、必ず帰ってきてくれると思っている。
そんな娘を見て 辛くなる自分と
いや、まだ最終決定は下されていないのだから
何を今からそんなに悲観的になっているのだと
自身を叱咤する自分とがいる。
今までにもこういうことは幾度となくあった。
だから今回も絶対に大丈夫だ、と自分に言い聞かせてもいる。
・・・こういうときに信仰があってよかった、と思う。
もちろん縋るつもりはない。
助けてくださいと懇願するつもりもない。
ただ、人生に起こる全てのことには 必ず意味がある。
悪性であったとしても
最期まで自分らしく闘えばいい。
良性であれば これから何度も続くだろう手術に負けず
生き抜けばいい。
全て 天が見ていてくれると思う。
やはり凡夫であるから これ以上の苦痛は出来れば避けたいし
ずっと、ずっと長生きしたい。
病とは全く関係のない人生を送りたい。
パパとみいちゃんと、ずっと一緒にいたい。
正直に言えば・・・5日の診察の日、先生が満面の笑みで迎えてくれ
「○○さん、よかったですね! 何の問題もないですよ。良性です!」と仰り
私はほっと胸をなで下ろす・・・・
そんな情景を何度も何度も心に描き
それを支えに日々を送っている自分。
逆に 執刀医は癌の専門医、その先生が切除した組織を見た上で
「悪性かも」と仰るのだから、今更期待など持たぬ方がいい。
最初から悪性なのだと諦め、そのための準備を始めようとする自分。
・・・・いろんな自分が交錯する日々である。
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また越ゆべしと
http://miyakagaku.exblog.jp/17121534/
2011-12-26T11:23:03+09:00
2011-12-26T11:22:59+09:00
2011-12-26T11:22:59+09:00
miyamagakure
日々の徒然
年たけてまた越ゆべしと思ひきや
命なりけり小夜の中山
西行
年を越すというのは
険しい峠を越すことと何処か似ている。
命ながらえて
ようやく「今年」の峠を越すことができたからこそ
新年元旦の朝に
「おめでとうございます」と言えるのだ、と。
・・・手術を終えてまだ十数時間しか経っていないとき
執刀医から「悪性の可能性があるのでそのつもりでいてください」と。
悪性の場合、5年生存率は15パーセント。
その場合、更に大がかりな手術を予定している、とも。
一方、他の担当医は
「良性だと思いますよ」と言ってくださっている。
ただ、(良性であっても)再発は十分にあり得る、と。
・・・執刀医と担当医、言っていることがこうも違うようでは
もはやどちらを信頼すればよいのかわからなくなってしまう。
患者というものは
これ程までに不安になるものか・・・と。
けれど、今のところきちんと眠れているし
食事も摂れている。
検査結果の出るのは年明けの5日。
その日まで落ち着かぬ日々が続くのだろうけれど
担当医の言うとおり大丈夫であれば誠にラッキー。
執刀医の言うとおり もしも悪性であったとしても
自分の納得する生き方を貫けばいい。
ともかくも、つよくありたい。
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