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昨日、京都から畳紙を届けていただく。 家紋と娘の名前の入った畳紙。 本来ならばお嫁入りが決まってから作るものなのだろうけれど 出来ることからどんどん進めておく。 「急いで作らなくてもよかったのにね」と あとで笑い話になることを願いつつ。 長襦袢の反物、そして小紋の反物も 近々呉服屋さんに持って行き 娘の寸法に合わせて仕立てていただく。 色無地は京都のお店で染めていただくので もう少し、私の体調が元に戻ってからのこととなる。 ともかく、娘と一緒に呉服屋に行き そこでのやりとりなどを彼女に直に見せておきたい。 彼女が大人になったとき 「お母さんと一緒に呉服屋さんに行ったなあ・・・」と 思い出してもらえたらいい。 かつて自分のことを心配し、力を尽くしてくれた母がいた ・・そういう温かな記憶を作っておいてあげたい。 その記憶が、娘の生きる気力に結びつくのだと思う。 ただ一度だけでもそういう思い出を作っておけば 娘は自分の力で前に進んでいける。 呉服屋さんにとどまらず様々なところへも 自分で足を運び、解決し、力強く生きてくれる。 私がそうであったように、彼女もいろんな所で恥をかくだろう。 情けない思いも 心細い思いも。 それでも その記憶の底にはいつも私がいて 「大丈夫だよ」と、娘を守っていたいと思う。 娘がいくつになったとしても。 #
by miyamagakure
| 2012-02-01 09:55
| 日々の徒然
今日は仕事で大阪へ。 会社で3時間ほどの研修を受ける。 多くの書類を前に頭がパンクしそうになったのだけれど 夢中で読み、何とかインプット。 無事研修を終え、帰りしな梅田のデパートに立ち寄る。 鳩居堂に立ち寄り 梅と流水、そして白椿の葉書を購入。 病気のことで精神的に参っているのだけれど 美しさに対する感受性が未だ残っていることに、少し安心する。 老松では鴬の琥珀を購入。 娘の「わぁ^^」と喜ぶ顔が眼に浮かぶ。 呉服のコーナーでは振袖を見 4年後の娘の成人式に思いを馳せた。 ・・・・正直に書いていいかな。 今日、呉服のコーナーでね 三世代揃って来店なさっているご家族を見たのだけれど おそらくお嬢さまのご結婚準備なのかな お母様、お祖母さまも一緒にいらして。 着物を前にあれこれ談笑なさっていた。 ・・・・いいなあと思った。 私の母は、独りで嫁入りの準備をした。 その時 頼るべき実家の母(私の祖母)は 既にこの世の人ではなかった。 私も、嫁入り準備を独りでこなした。 母が身体が弱く、とても頼ることなど出来なかった。 ・・・20年前のちょうど今頃のこと たったひとりで 呉服屋の暖簾をくぐった。 その時の心細さ。 親子連れへの対応に忙しい呉服屋の店員など こちらには見向きもしない。 私とそう年も変わらぬ人が 自分のお母さんと一緒に着物を選んでいる様子を見て いいなあ・・・・と思った。 一枚、一枚、いろんな着物を肩にあててみては あれが似合う、これがいいと笑顔で話していた。 なんだかそこだけぽかぽかして 春のようだった。 ・・・お母さんと一緒に着物を選ぶって あんなにぽかぽかしてあったかいことなんや、と初めて知った。 それだけに 自分のそばには誰もいないということが 余計に身にしみた。 だからこそ 娘にはそんな淋しい思いをさせたくないと思う。 #
by miyamagakure
| 2012-01-28 09:35
| 日々の徒然
退院してきてからというもの 精神的にまことに忙しない日々を送っている。 再発のことを思えば のんびりと過ごしてはいられない。 今のうちに出来ることを・・・と思うあまり 焦りの気持ちも出てきている。 1月末には葬祭会館での打ち合わせ。 お元気な方々から見れば 一体何を焦っているのだと 半ば滑稽に見えるかも知れないけれど 出来るときに出来ることをしておきたい。 幸運にも再発せずに生きられたら その時にこそ「無駄なことしてたね」と家族で笑いあえばいい。 むしろ・・・笑い話になることを祈るのみ。 娘の長襦袢の用意を始めた。 訪問着については数年前に仕立てていただいたので あとは長襦袢、小物の準備である。 同時に色無地の用意も始める。 これについては娘とともに京都に行き、白生地を染めていただく。 ・・・もしも私が入院、再手術となれば とても着物のことにまで手が回らなくなるだろう。 そして万一、私がいなくなったあと パパと娘はどうやってお嫁入りの着物を揃えるのだろう。 おそらく右往左往するのではないだろうか。 そんなことを考えると辛くなってくる。 娘にそんな心細い思いなどさせたくない。 こうやって、万一に備え様々なことをするのも ひとえに自分が強くなるため、である。 外堀をきっちりと埋め、母としてやるべき事を終え やがて来る病に対し「来いやー!!」と迎え撃つための 私なりの方法なのだと思う。 決して後ろ向きになっているわけではない。 し、しかし、いい年をした女性が 「来いやー!」だなんて、それはちょっと・・・と 自分でも思うのだけれど(笑) でも、それが今の正直な気持ちかな。 いったん再発してしまえば死を待つしかない。 100万人に1人の発症率。 白状すれば・・ 何で私なんだ?と思う。 まだ45歳。 そんなんで死ななあかん、ておかしいやろ、というのが 本当に正直な気持ちである。 諦めない、というよりも 諦めたくない。 だから、万一再発したときに がくっと気落ちしないよう、 母として、妻としてやるべき事をきちっとやっておく。 後顧の憂いのないよう ひたすら 病気との闘いに専念できるように。 それが自分なりの闘い方なのだと思う。 #
by miyamagakure
| 2012-01-23 17:09
| 日々の徒然
これからこの空間に書き留めることは いつわりのない呟き。 思いつくままに書いていこうと思っている。 今のような状況になってみて いろいろとわかることがあった。 自分自身、幼い頃から生死について考えることが多く 自分でも変な性格だなあ・・・と思っていた。 死について考えるなんて、本当ならしたくないはずなのに それでも、意識の底から勝手に浮かび上がってきていた。 ・・・今ではそれでよかったと思っている。 もしも 今まで死についてそう考えることもなく 「そんな暗いこと考えてどうする」という感覚の持ち主でいたなら おそらくは現在、精神的にもっと参っていただろう。 再発を恐れながら生きていくということは 想像していたよりもしんどい。 腹痛ひとつとってみても「再発か?」と疑わざるを得ない。 精神的に非常に消耗している。 いや、再発したとしても完治できる可能性があるのなら もうひと踏ん張り頑張ろう、となるけれど ひとたび再発してしまったら あとは死を迎えるしかない。 余命数年というゴールが待ち構えている。 そのゴールが 今のこの地点から透けて見えてしまう。 ・・・本当に無念である。 こんな時、信仰をたもっていて本当によかったと思う。 以前の日記にも書いたことではあるけれど 縋るつもりもないし、助けてくれと懇願するつもりもない。 ただ、悔いない人生を生ききる、と 仏前にて誓うだけである。 自分の本当の願いは 96歳まで元気に生き続けて 「最期まで再発しなかったよ!」と 「だから望みを捨ててはいけない。あなたも大丈夫だよ!」と 同じく病気に怯える人々に伝えていきたいということ。 自分が再発に怯えた分だけ 心細さに眠れぬ夜を過ごした分だけ 他の人々の気持ちを理屈抜きに理解することが出来るのだと思う。 ・・・何で96歳?と思うのだけれど(笑) ただ、何となく・・*^^ そんなに長生きできたら最高だろうなと。 手術から十数時間後の執刀医の言葉。 それをきっかけに 私はさまざまなことを考え始めた。 確かにしんどいことではあるけれど そしてこれはずっと終わらないものだろうけれど 自分の人生に芯のようなものが据えられた、と感謝している。 蓮祖曰く 「このやまひは仏の御はからひか そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人 仏になるべきよしとかれて候 病によりて道心はをこり候なり」 妙心尼御前御返事 #
by miyamagakure
| 2012-01-17 16:42
| 日々の徒然
手術を受ける前には・・・頑張ってこれを乗り越えさえすれば 病院と縁を切ることが出来ると思っていた。 痛みや体調不良も一気に改善されると。 そしてまた 組織検査が良性でありさえすれば大丈夫だと思っていた。 結果、そのことごとく 予想を裏切り 病院との縁を切ることも叶わず 痛みや体調不良は変わらず そして良性であったにもかかわらず 再発の不安を持ち続けなければならないことに。 再発したとしても 完治を目指せるのであれば こうも悩まずにいられたのだろうけれど いったん再発してしまえば 抗癌剤も効かず、治療法もなく 1年生存率は98パーセント、5年生存率は20~48パーセント 10年ともなればさらに数値は低くなる。 この日本国内において 今まで5年以上生存できた人は22名のみ。 再発を防止するための薬も治療法もない。 症例があまりに少なくデータもほとんどない。 病院の先生も「初めて見る症例です」と。 これからどうなっていくのか執刀医にもわからない、とのこと。 何から何まで手探りなのか・・・と。 そういう様々なことを考え続ける自分と いや、まだ再発したわけではないのだから、と 自身を元気付けようとする自分とがいる。 それと同時に 再発するわけがない、再発などしてたまるかと思いつつ けれど 何処かでその時のために備えようという気持ちも。 要するに、自分の気持ちなんて刻一刻と変化し 不動なんてことはあり得ない。 前向きの気持ちと、明るい方に眼を向けようとする想い、 そして万一の時のために備えようとする気持ち。 どれも全て、私の想いである。 ・・・今日は16日。 3日後に 再発しているかどうか、第1回目の検査結果が出る。 こういう検査を これからずっと(生きている限り) 続けていかなくてはならないのかと暗澹たる気持ちにもなるけれど 仕方ない、生きていくために必要なことだ。 希望を持ち続けることと 万一に備えることと 同時進行は本当に難しい。 私自身、数年後の娘の成人式の振り袖姿を楽しみにしながら 一方では(遠い将来に備え)娘に赤ちゃんの離乳食の作り方を教え始めている。 娘も「お母さん、長生きしてな!」と笑顔で言いながら 私の作ったおにぎりの写真を携帯で撮っている。 正直言って・・・娘も私も 未だ混乱している途中である。 これからこのささやかな空間にて 今の自分の気持ちを素直に書き留めておきたいと思う。 弱い人間であるから 時には落ち込むところまで落ち込むと思う。 私自身、そういう自分をも何とか受け入れようと思っているし 逆に、この空間で自分の気持ちを全て書き出すことによって 勇気が出てくるかも知れない。 弱さをさらけだすことさえも 自身のつよさを引き出すための足がかりとしたい。 再発などしたくない。 考えたくもない。 娘のために生きていたい。 ・・・運がよければ 再発しないまま生きていけるかも知れない。 そんな、さまざまな思いの交錯する日々である。 #
by miyamagakure
| 2012-01-16 14:37
| 日々の徒然
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