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・・・たくさんのことがありすぎて 一体、何から書いたらよいのかわからない。 今日も神戸の病院へ。 明日も、検査のため再び神戸へ。 5日の検査結果でわかったこと。 腫瘍自体は良性だったのだけれど ・・・最終的に 手放しでは喜べないことを知る。 定期検査はこれから先もずっと必要。 (腫瘍が良性であったにもかかわらず) 再発した場合 5年生存率は20~48パーセント。 私のケースでは・・・再発する可能性は高いとのこと。 今はもう、何をどう書いてよいものか 文章を組み立てることもできないのだけれど せめて 大切に生きていたいと思う。 #
by miyamagakure
| 2012-01-14 16:14
| 日々の徒然
今抱えている問題は、今までにも幾度となく経験し そのたびに何とか大丈夫で ここまで来ているのだけれど だから、今回もきっと大丈夫だと 自らに言い聞かせている自分がいる。 そう、きっと、大丈夫。 そんなに辛いことばかり起きるわけがない。 年明け、5日の診察日に 「先生がああやって脅かすようなこと言うから 私、ずーっと気に病んで大変だったんですよ!」 そんな風に笑いながら言えるといい。 ・・・手術の翌日、痛む身体を庇いながら カテーテルや点滴を引きずりながら歩いた、病院の廊下。 一歩、一歩が本当に痛くて 咳をするのも辛くて でも、目の前に続く長い廊下を見て 「これを乗り越えていかなければ」と思った。 今回のことを通し 手術を控えている人の不安も知った。 人にとって「優しい」ということが 1番大切なんだと知った。 こんな時、どんな言葉をかけたらいいか 身にしみてわかった。 反対に、どんなことを言ったらいけないのかも知った。 術後、消灯後の暗闇の中 初めて迎える夜があんなにも長く 心細いものだったとは。 そして 夜明けがあんなにも嬉しいものだったとは。 これからの より良き生のため 全てを糧にしていこうと思う。 #
by miyamagakure
| 2011-12-29 11:47
| 日々の徒然
このたびの入院で思うことはたくさんありました。 まず、優しい人になりたい、ということ。 当初、良性だと伺っていた上での手術でしたので 術後の先生の意外な言葉に 本当に参りきりました。 いや、仮に悪性だったとしましても 例えば初期とか、完治する可能性が高いのであれば 元気を出して頑張るぞ!となるところでしょうが 今回の場合、症例が少なすぎること、データがほとんどないこと そして「大腸癌とか胃癌ならまだよかったんですけどね」との言葉に ・・・ショックを受けまして さすがに一時間ほど放心状態でした。 そんな時、看護師さんが病室に来てくださいまして 「大丈夫、大丈夫」と 背中を撫でて下さったんです。 背中に伝わる手の温もりが 本当に嬉しかった。 ・・・上手く言えないけれど 本当に、優しい人になりたい、と思った。 #
by miyamagakure
| 2011-12-29 11:45
| 日々の徒然
しばらくは、この空間が 私にとっての呟きの場となりそうである。 年明け5日の検査結果で「良性」と出れば この物思いも晴れるのだろうけれど もしも万一悪性と出た場合には 不安も心配もより大きくなっていくのだろう。 このたびの手術、「おそらく良性でしょう」との 先生の言葉に安心しながら臨んだものであったけれど 術後十数時間後には「悪性の可能性が出てきました」と。 私自身、その落差に少なからずショックを受けてしまった。 しかも、術後の痛みが続く状態での先生の言葉。 先生のその言葉は もう少し後でもよかったのではないかと思うのだけれど けれど、今そういうことを言っていても始まらない。 今、唯一自分にできることは、つよくなること。 執刀医の言うとおりであれば 悪性の場合、生存率は15パーセント。 担当医の言うとおりであるならば、良性。 ただし(良性であっても)再発は免れないので そのたびごとに手術が必要となる。 手術など何度でも受けるから 良性であってほしいと切に願う。 娘の出産、育児を見届けたい。 娘を守りたい。 娘も16歳とは言えど やはり子どもの部分を残しているので このたびのことについて未だその重要性を掴み切れていない。 お母さんはずっと自分のそばにいてくれると思っている。 入院しても、必ず帰ってきてくれると思っている。 そんな娘を見て 辛くなる自分と いや、まだ最終決定は下されていないのだから 何を今からそんなに悲観的になっているのだと 自身を叱咤する自分とがいる。 今までにもこういうことは幾度となくあった。 だから今回も絶対に大丈夫だ、と自分に言い聞かせてもいる。 ・・・こういうときに信仰があってよかった、と思う。 もちろん縋るつもりはない。 助けてくださいと懇願するつもりもない。 ただ、人生に起こる全てのことには 必ず意味がある。 悪性であったとしても 最期まで自分らしく闘えばいい。 良性であれば これから何度も続くだろう手術に負けず 生き抜けばいい。 全て 天が見ていてくれると思う。 やはり凡夫であるから これ以上の苦痛は出来れば避けたいし ずっと、ずっと長生きしたい。 病とは全く関係のない人生を送りたい。 パパとみいちゃんと、ずっと一緒にいたい。 正直に言えば・・・5日の診察の日、先生が満面の笑みで迎えてくれ 「○○さん、よかったですね! 何の問題もないですよ。良性です!」と仰り 私はほっと胸をなで下ろす・・・・ そんな情景を何度も何度も心に描き それを支えに日々を送っている自分。 逆に 執刀医は癌の専門医、その先生が切除した組織を見た上で 「悪性かも」と仰るのだから、今更期待など持たぬ方がいい。 最初から悪性なのだと諦め、そのための準備を始めようとする自分。 ・・・・いろんな自分が交錯する日々である。 #
by miyamagakure
| 2011-12-26 11:27
| 日々の徒然
年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山 西行 年を越すというのは 険しい峠を越すことと何処か似ている。 命ながらえて ようやく「今年」の峠を越すことができたからこそ 新年元旦の朝に 「おめでとうございます」と言えるのだ、と。 ・・・手術を終えてまだ十数時間しか経っていないとき 執刀医から「悪性の可能性があるのでそのつもりでいてください」と。 悪性の場合、5年生存率は15パーセント。 その場合、更に大がかりな手術を予定している、とも。 一方、他の担当医は 「良性だと思いますよ」と言ってくださっている。 ただ、(良性であっても)再発は十分にあり得る、と。 ・・・執刀医と担当医、言っていることがこうも違うようでは もはやどちらを信頼すればよいのかわからなくなってしまう。 患者というものは これ程までに不安になるものか・・・と。 けれど、今のところきちんと眠れているし 食事も摂れている。 検査結果の出るのは年明けの5日。 その日まで落ち着かぬ日々が続くのだろうけれど 担当医の言うとおり大丈夫であれば誠にラッキー。 執刀医の言うとおり もしも悪性であったとしても 自分の納得する生き方を貫けばいい。 ともかくも、つよくありたい。 #
by miyamagakure
| 2011-12-26 11:23
| 日々の徒然
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