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腹部腫瘍によってもたらされる痛み。 この痛みと闘い続けて早くも8ヶ月目となる。 どういう体勢を取れば痛みが軽減するのか 最近では何となくコツらしきものも掴めてきた。 とはいうものの、殊に睡眠中の痛みだけはどうしようもない。 腹部、背中、腰と一晩中痛み通し 寝返りさえ打つことは出来ない。 最近ではお布団に眠ることも出来ず もっぱらマッサージチェアのお世話になっている。 今年4月の時点では内科の診察を受けていたのだけれど (以前の日記にも書いているとおり) 炎症性の高い腫瘍だの、破裂の危険性があるだの 診察室のパソコンの画面・・・自分のカルテをそっと見てみたらば 膵臓癌、大腸癌の疑い(至急)などと書いてあり ずいぶんと面食らったものである。 けれど 外科の先生が診察に加わってきた頃から 怖ろしげな話は少なくなり とにかく今は 手術で腫瘍を取り去るよりも 開腹によってもたらされる腸重積、腸閉塞の危険性の方が高く このまま様子を見てみましょうということに。 様子見とは言うものの痛みがひいているわけではなく むしろ痛みそのものはつよくなってきているのだけれど 仕方ない、プロにお任せするしかないのだと思う。 もちろんセカンドとして かかりつけの別の信頼できる先生にもデータを全てお見せし 様子見で本当にいいのかどうか伺ってもいる。 痛みのためしゃがむことも走ることも出来ない。 また 先月の右足怪我によって正座も出来ない。 もっと言えば 昨年1月の口内の火傷によって 熱いものも頂けなくなった(散々だ)。 年齢とともに制限されることが多くなり これもまた老化の一面でもあるのだろうな、と。 本来ならば ここでしょげてしまうのかも知れないけれど でもこういう状況であるからこそ、発想の転換は必要なのだと思う。 もし腹部腫瘍がどんどん大きくなっているにも関わらず 痛みが全くなかったならば、私のことだ、大いに動き回っていたことだろう。 動き回り身体に負担をかけすぎて、腫瘍が破裂し、 その時になって(ようやっと)腫瘍の存在に気付いたかもしれない。 そう、おおごとになってはじめて 事の重大さに気付くというパターン。 ・・・痛みがあるからこそ 身体に負担をかけまいと気をつけることも出来るのだと思う。 正座についても同様。 幼い頃から運動やバレエで膝を酷使してきた。 おまけに仏壇の前にて日に2時間以上座っている。 茶道でも同様。 こんな暮らしをしていれば 老年期に入ったとたん、まず真っ先に膝が駄目になり 歩けなくなること必定、 今の まだ40代という時期に怪我をしたということは 膝について、また正座について考え直す良い機会であるのだと思う。 いくつになっても自分で歩き、豊かな晩年を過ごすための 天のはからいではなかったかと。 口内の火傷にしてもそう。 もともと熱いものが好きである(笑)。 ふぅふぅと言いながら、熱いお茶を頂くのはまさしく至福。 辛いものも(秘かに)好き。 けれど こんな食生活を長年続けていれば もしかしたら食道、もしくは口内をひどく傷めていたかも知れない。 幸か不幸か、昨年1月の口内火傷により 熱いもの、刺激のつよいものはほとんど摂れなくなってしまった。 好きなものを頂けなくなることは悲しいけれど これもまた、意味のあることなのかも知れない。 凡夫のかなしさゆえ 自身にとって不利益ともとれる出来事の起こった時には どうしてだろう・・・と思いがちだけど 仏の眼から見れば 全ては意味のあることであると。 幸せの方向に向かわぬはずがない、と 自分自身がどこまで祈りを深めていけるか、なのだと思う。 #
by miyamagakure
| 2011-10-24 10:39
| 日々の徒然
備忘録として。 今のこの想いを、50代、60代の私が読み返したらば 一体どのように感じるのだろう・・・と思いつつ。 絵画にしろ うつわにしろ 伝統芸能にしろ そして日常生活におけるありとあらゆるもの これら全ては もしかするとひとつにつながっているのでは・・?ということ。 そして その核になるものは おそらくは「自分自身」。 知識や他人の評価、その他のことはさておき 自分がどう感じるか、ということに主眼を置くべきではないか、と。 例えば 絵画ひとつとってみてもそう。 展覧会に行く前に関連本は読まない(笑)。 いや、読みたい人は読めばよいだろうけれど 私は読まずに行くことにしている。 (こ、こんなこと言ってよいのか分からないけれど) 構図がどうとか、作者の意図はこうだとか そういうものは邪魔。 予備知識があると 実際の作品からのスペシウム光線(?)が弱まる。 いや、違うな、作品からの光線は変わらずつよいのだけれど 受け取るこちら側の性能が落ちるのだ、きっと。 「知識」がこちら側の感性にへばりついて 作品からの光線を受け取る力が、鈍る。 著名な、ものすごい評価をされている作品に対し 「びびびっ!」とこなかったからといって 落ち込む必要もなければ、卑屈になることもない。 縁がなかっただけであり、 波長が合わなかっただけである。 他人の評価にあわせて 自分の感性をふらふらさせる必要もない。 好きなものは好き、 受け付けられないものはそのまま放っておけばいい。 #
by miyamagakure
| 2011-10-19 11:30
| 絵画
世田谷からも、そして過日は横浜からも放射性物質検出。 おそらくは他の地域も同様なのだろう。 今朝のニュースにて、福島のお米を出荷、とのこと。 風評被害に悩んでいるという農家の方の声を流していた。 この期に及んでまだ「風評被害」などと報道しているのかと まことに情けなく思った。 もはや 怒りを通り越してしまった。 もしかしたら・・この国は 2つ、もしくは3つに分かれてしまったのではないか。 福島産、もしくは東北産のものを警戒し、消費しない人々。 そのことを非難する人々。 ほとんど関心のない人々。 放射性物質を出来る限り取り込まないよう注意を払う人を 非難する人がいるけれど、どうしてなのだろう。 疑問である。 生物の本能として当然の防衛だと思うのだけれど。 防衛したい人は防衛し、 そう気にならぬ人はそれなりのペースで暮らしていけばいいと思う。 他の人のことまで干渉する必要はない。 また 素人考えかも知れないけれど どうして市民が自分たちで放射能除染しなければならないのだろう。 「こどものため」とか「故郷を守るため」とか いろいろ理由はあるのかも知れないけれど 皆が皆、やりたくてやっているわけではないと思う。 「こどものため」というのなら 今すぐ、福島県外に逃げるのが正解だと知っていて、 でも、何らかの理由でその地を離れられない人もいるだろう。 「故郷を守るため」というのなら 故郷を守るより、自分たちの命の方が大事だと思う人もいるだろう。 でも、やはり、どうしてもそこを離れることが出来ないのかも知れない。 ・・・考えすぎかも知れないけれど 危険を察知し、一足先に県外に避難した人、 そして今も福島県内に残ってはいるものの 健康上の理由でどうしても除染作業に加われない人、 そういう、本当にいろんな事情を抱えている人もいる中で 除染作業に加わらないということだけで まわりから非難される人もいるのではないか。 要するに「どうして皆と同じことをしないのか」と まわりからあれこれ言われている人もいるのではないかと心配になるのだ。 全てはこの国のあまりにお粗末な政策によるものである。 福島の方々を混乱に陥れている。 この国もまた、三流国であったかと更なる不信にも陥っている。 どこぞの者(某大学准教授)は 「放射能はニコニコしてる人には何にもできないけど クヨクヨしてる人には悪さをする」などと。 ここで精神論(?)をかざしても 他国の物笑いになるだけである。 我が国の放射性物質に対する基準値も 他の国から見ればとんでもなく高い数値であり、 何の保証にもならない。 今も福島原発で作業してくださっている方々は 「今後病気になっても訴えは起こさない」という誓約書を書かされているし ・・・・本当に この国の、というよりも 「この国のトップにいる者」の無能さ、狡猾さ。 ここに来て消費税率アップ、そして年金支給時期もさらに遅れる見通し。 (68歳から70歳になる可能性も) 国民に負担を強いるよりも先に天下り先を潰せ、といいたい。 東電の前社長、清水氏の退職金を取り消せ。 ・・・・震災を機に、この国の本当の姿が見えたように思い 一体この国はどこまで漂流してゆくのだろうと 暗澹たる気持ちになっている。 そんな気持ちをつい、メールの友人にこぼしてしまった。 国外からこの日本を見ている友人ならば 私などよりもっと冷静に考えられると思ったから。 友人からは 「つよさこそが、全ての基礎である」と。 私も含め日本人の多くは基準点を見失っていると喝破、 これを取り戻すには長い時間が必要になると。 ・・・・自分にとっての「つよさ」とはいったい何だろうと 思いを巡らせつつ 様々な国内のニュースに耳を傾ける日々である。 #
by miyamagakure
| 2011-10-13 12:18
| 日々の徒然
備忘録として。 うつわは「その人自身」ではないか、ということ。 趣味嗜好がぴったりあう、ということではなく。 何故そのうつわに惹かれるのかを考えれば 最終的に「うつわはその人自身である」という結論に達するのではないか。 うつわに惹かれるということは うつわの中に自分自身を発見するということでもある。 さらに言えば、自分の中にあるものと うつわの中にひそむものとが共鳴しあうということ。 おそらく人は それを無意識のうちにやっているのだと思う。 先日、購入したばかりの「虎のうつわ」。 その虎はまさしく私自身でもあった。 虎は「つよい存在であること」を前提として生きてゆかねばならない。 けれどそのうつわに描かれていた虎は何処か弱々しく 竹藪からのそりと出て来たはいいけれど、 さて、これからどうして良いか分からない。 虎である以上つよくあらねばならないのだろうけれど 自分では、つよくありたいとも思ってはいない。 自分は自分でいいではないか。 つよくない虎がいたっていい。 ・・・・描かれていた虎の表情からそんなことを思い いつしか、「自分のままでいいんだよ」とその虎に言い聞かせているのか はたまた自身に言っているのか ちょっと分からなくなってしまった。 その虎は今 我が家のリビングの飾り棚にて 「GAOOOOO!」でもなければ「GYAO!」でもなく ただしんみりと こちらを見つめている。 #
by miyamagakure
| 2011-10-09 16:18
| 日々の徒然
独り言、お好きですか? 朝霧は、さほど好きではありませんが 好き嫌いにかかわらず、何故か呟いているようです。 しかし、しかしですね。 若い女性の独り言はそれなりによいものでしょうが 朝霧のような年齢ともなりますと 良いも悪いもあなた、老化の一歩手前驀進中ではありませんか。 いや、この前ですね 電話にて商品の注文をしていたのですが 案外、待たされるものなのですね。 実に軽やか、爽やかな声で「大変お待たせいたしております」などと言われれば (どうやら自動音声で勝手に流れているらしい) こちらも、「大変しびれを切らしております」などと 答えてしまうわけでして。 娘がね、「お母さん、それ聞こえてるかも知れないよ」と注意してくれるのですが 朝霧は「大丈夫、大丈夫」と言い放ち 好き勝手なことを言ってるわけですね。 で、電話でのアナウンスでやね 「サービス向上のため、会話を録音させていただいております」 などと告げられた日にゃあなた。 (*`◇´) あるお店でね パパと一緒に日用品を探しておりまして。 で、なかなかないもんだねぇ、などと言いながら探していたのですが 30分後、とうとう見つけたんです^^ 価格もお手頃、 おお、なかなかよいお買い物ではないかと嬉しくなりましてね 「へっへっへ。安くていいのが手に入りましたなぁ、旦那。」 悪代官よろしく 妙な声でパパに話しかけましたらば ・・・・隣には 右手に台所用のスポンジを手にしたまま 固まっている初老の男性の姿。 今日のような、静かな雨の降り続く一日 ・・・人は いちど とくと、自分自身というものを 反省する日があってもよいのではないか、と。 #
by miyamagakure
| 2011-10-07 22:01
| 日々の徒然
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