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福島出荷の肉牛から、放射性セシウム検出。 原因は、外に保管していた稲藁だという。 その稲藁のあった場所は、福島原発から数十キロも離れた場所。 そこですら通常の73倍ものセシウムが検出された。 問題は、稲藁だけではすまない。 外に4日間だけ保管されていた稲藁さえそういう状態なのだから もっと長期にわたって放射性物質にさらされているものなど 他にいくらでもあるのではないか。 例えば、庭の植木、芝生、鉢植え、街路樹。 畑に植わっていた野菜。 ものすごく極端な書き方をしてしまうかも知れないけれど これ以上、福島の農畜産物を出荷するのはやめて欲しい。 摂取するのもやめて欲しい。 放射性物質を自分の身体に取り込んでしまうことで 自分の遺伝子が傷つき その傷ついた遺伝子を次の世代に持ち越してしまうのが心配。 遺伝子は、いちど傷つくと修復が難しい。 だから 出来る限り被爆しないよう、細心の注意を払う必要がある。 人によっては「そんな神経質になっていたら、なんにも出来ないよ」と いう考えもあることと思う。 けれどこの原発問題に関しては、おそらくは過去に例がない。 前例のない問題に、しかも失敗の許されない問題に 私たち日本人は取り組んでいかなければならない。 この場合、楽観的な考え方でいるよりも より慎重な姿勢でいる方が大切だと思う。 前例のない、経験のない困難に対しては 人間は謙虚でなければならない。 先月だったか、福島原発第2号機の扉を全開にしたけれど そしてその時18億ベクレルもの放射性物質が空気中に放出されたけれども 同じ時期、ここ関西の敦賀原発においても 2号機の換気用排気筒から放射能が漏れ出していた。 その量、実に41億ベクレル。 漏れがあったことも、そしてその量も 私たちには全く知らされていなかった。 情報隠蔽、メルトダウン、メルトスルー、 九電のメール問題等々 ・・・・もう、こうなったら何でもありだな、と苦笑してしまう。 自分たちの世代のことだけでなく 100年、200年先の子孫のことまで考えなければ。 子孫が、癌や白血病になることなく 幸せに暮らしてゆけるよう 今、この日本で生きている私たちが知恵を働かさなければ。 チェルノブイリのことを思ったら・・・胸が痛くなる。 当時、危険区域付近で生まれた女の子たちが 今、まさに出産適齢期。 youtubeを検索して見てみたのだけれど 今、生まれてくるこども達の中で、病気でないこどもはほとんどいない、と。 このことを 遠い外国のお話と考えてはいけない。 あと20数年後の日本の姿かも知れないのだから。 今のことだけでなく、未来のことを見据えた「がんばろう日本」であるならば 生まれてくる未来のこども達が 苦しい思い、痛い思いをせずにすむよう、 私たちは行動しなければならないのだと思う。 風評被害に負けるな、などという言葉に騙されるべきではない。 風評ではなく、実害なのだから。 #
by miyamagakure
| 2011-07-15 16:12
| 日々の徒然
このたびの福島原発について思うこと。 福島をはじめ東北地方の農畜産物、 これらについては(残念ではあるけれど) 諦める方がよいのではないだろうかと。 放射能に汚染されたものを長期にわたって摂取し続けた場合 私たち人間が一体どうなるか、想像することも大切である。 しきりにテレビ等で 「家に一日でも早く帰りたい」という被災者の方々の声を流しているけれど 政府は、「帰ることは出来ない」とはっきりと宣言するべきである。 そして、東北地方の農畜産物についても 摂取してはならない、出荷してもならないと宣言するべきではないか。 そうしないのは、ひとえに賠償問題があるからだと思う。 最早「風評被害」などではない。 実際に害がある。 放射性物質が、野菜からもお茶からも、牛肉からも出てきている。 本当は他の農産物からも出ているのではないか。 今朝のテレビでも「たくさん食べ続けなければ大丈夫」などと言っていたけれど この期に及んでまだそんなことを言っているのか、と腹立たしくなった。 東北地方の農家を取材、どんなに大変な状況に陥っているかを放送し 「風評被害に負けないでください!」と励ますテレビ局の人間。 確かに、その放送を見ていたら 「農家の方々は本当に大変だ、自分に出来ることをさせていただこう」と 自分でも思う。 けれど、冷静に考えてみれば 福島原発が無事、廃炉になるまであと数十年。 それまで、福島の避難区域以外の方々は 県内にとどまっておられるのだろうかと。 人体に、そして農畜産物に一体どれほどの影響を及ぼすのだろうと。 これから100年、200年先の子孫のことを思えば 東北、いや、せめて福島県内の方々は全て避難、 そして(言いにくいことではあるけれど)農業、畜産業などを廃業し あらたな土地で暮らしを立て直していく必要もあるのではないかと。 もちろん、そのための費用は、全て国や東電負担である。 国はそれが出来ないからこそ、 それだけの費用を捻出できないからこそ 避難区域の範囲を小さめに発表しているのではないか。 そして農業、畜産業を廃業する方々への費用を出す替わりに マスコミを使い「風評被害に負けるなキャンペーン」を繰り出しているのではないか。 そのキャンペーンが成功したならば 国民は善意でもって東北地方の産物を購入するだろうし そうなれば、東北地方の方々は廃業せずに済み、 国も賠償問題に悩まされることもない。 国外に住む友人が言っていた。 もう、東北地方に住むべきではない。 そこに住む方々が心配だ、と。 日本人は可能な限り西日本に移り、 そこから立て直していくべきだ、とも。 ・・・国内に住む私たちよりも、むしろ国外から日本を見つめている人の方が 正しい判断をしているのかも知れない。 前述しているけれど これから100年、200年先の子孫のことが心配である。 私たち日本人は本当に大丈夫なのだろうか。 テレビで放送されない情報はこちらから。 原発災害の情報 日本の子どもを守ろう ・・・9年前に白血病で亡くなった友人のことを思う。 友人のお父さまは戦時中、長崎にて被爆、 その被爆が元で白血病にてお亡くなりになった。 そしてその娘である友人もまた、31歳という若さで 4歳の男の子を遺し お父さまと同じ白血病で亡くなってしまった。 遺された男の子も、顔面に障害があり 今までに幾度となく手術を受けている。 66年前の原爆が、今なお 私たち日本人を苦しめ続けている。 #
by miyamagakure
| 2011-07-12 09:35
| 日々の徒然
先週7月3日、関東に紫草の花を見にいった。 何もそんな、一輪の花を見るためだけに わざわざ遠い関東にまで・・・となるところだろうけれど ずっと前から、紫草(純粋な邦産種)を自分の目で確かめてみたかった。 数年前、同じく紫草の種を入手し、育て上げることに成功したのだけれど それは雑種のものに過ぎず、ずいぶんと落胆したものだった。 ・・・このたびは埼玉県の小川町まで。 私の住む街から、新幹線を使ったとしても6時間の道のり。 今の体調を考えたら不安はあったのだけれど よくよく考えてみれば長時間歩く必要もなく(歩いたのは駅の構内のみ) ただおとなしく電車に乗っていればよいだけだったので 予想していたよりも 身体への負担は軽かった。 小川町の駅に降り立ち・・・・思ったこと。 初めての街であるはずなのに、何だか懐かしい気持ちに。 しばし駅前の街並みを眺め 一路、タクシーにて紫草の展示されている町立図書館へ。 ・・・・夢にまで見た紫草との出逢い。 白く可憐な花。 紫野ゆき標野ゆき 野守は見ずや・・・とこころで呟き 遙か万葉の昔に思いを馳せる。 図書館をあとにする際に 万葉の会の事務局の方より「手描き絵はがき」を頂戴する。 そして 手作りの万葉の花カレンダーも。 和紙で作られており そういえばこの小川の街は和紙の町でもあったことに気付く。 ・・・万葉の会の方々に様々お気遣いいただき やはり、思い切って伺ってよかったと思った。 ここ関西から見れば 小川町はまことに遠い。 またいつか訪れたいと願いつつも その願いは本当に叶うのだろうか と心許ない思いでもある。 #
by miyamagakure
| 2011-07-11 14:21
| やまと花
今年も合歓の花を見ることなく終わってしまった。 もしかして、山の中に分け入ってみれば この花に出会うこともあるのかもしれないけれど 今の自分には、とてもそんな体力はない。 合歓の花・・・まるで夢見るように咲く花である。 親しきはうすくれなゐの合歓の花 むらがり匂ふ旅の宿りに 斎藤茂吉 また、万葉集の中では 紀女郎が 我が身を合歓の花になぞらえつつ詠っている。 昼は咲き 夜は恋ひ寝る合歓木の花 君のみ見めや 戯奴さへに見よ 紀女郎 万葉集巻8 愛読する萬葉集古義より。 晝者咲 夜者戀宿 合歡木花 君耳將見哉 和氣佐倍爾見代 ひるはさき よるはこひぬる ねぶのはな あれのみみめや わけさへにみよ 夜者戀宿は、夜ひとりぬる人の、人をこひしく思ひてぬるによそへて 戀宿(こひぬる)と云り、 晝は見事にさきたれど、夜になれば、獨宿する吾身の、人を戀しくのみ思ひて、 戀倦じてうなたれ宿る如き、この合歡木の花を 嗚呼(あはれ)さてもいとほしやと、吾のみひとり見てあるべしやは、 いかでひとりのみ見てはあらむ、と其方までに見せむがため、折てまゐらするなり、 是を一目見給ひて、あはれとおぼし給へ、となるべし #
by miyamagakure
| 2011-07-10 11:33
| 和歌
毎朝、娘を駅まで送っていくのだけれど その途中、娘の中学時代の同級生に逢ったりする。 みんなそれぞれの制服に身を包み 徒歩で、あるいは自転車で駅に向かっている。 懐かしさのあまり 車の窓から 「○○ちゃん!」「○○くん!」と名を呼んでしまい・・・(笑) みんながいくつになったとしても どうしても、幼稚園の頃の面影が脳裏に浮かぶ。 思い出の中では・・・・みんな今でも水色のスモックを着て 幼稚園の鞄をたすきがけにかけている。 …………………………………………………………………………… 昨日、初めて蝉の声を聴いた。 ああ、夏になるのだな と。 今年で 生まれて45回目の夏。 ひとつひとつ季節を迎え そして送る中で 人は齢を重ねてゆくのだと思う。 …………………………………………………………………………… 先日、東京駅に降り立ったときのこと。 あまりに大勢の人々。 ・・・・なんだか不思議な気持ちがした。 こんなに大勢の人々が、みんな元気に過ごしているのだから ここ東京にまで放射性物質が飛散している事実さえ ・・・それは本当のことなのか?と思ってしまいそうになる。 「赤信号、みんなで渡れば怖くない」 何の脈絡も無しに ふと そんな言葉が脳裏を掠めた。 そんな、日本人の弱点と闘いながらの これからの日々になることと思う。 …………………………………………………………………………… 明け方、短い夢を見た。 亡くなった2人目の子と一緒に歩いていた。 中学校の体操服を着て 髪は短いお下げ髪。 背丈も随分高く 私の背を追い越していた。 もっとお顔を見せて頂戴と思うまもなく 夢はさめていった。 夢の中で抱きしめてあげればよかった。 大きくなったねぇ、と頭を撫でてあげたかった。 ・・・生きていれば 今、中学2年生。 中学生になっていれば おそらくは こんな風に大きくなっていた。 本当ならこんな女の子に育っていたのだよと 自分の姿を見せに来てくれたのだ、と。 #
by miyamagakure
| 2011-07-08 09:45
| 日々の徒然
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